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●河姆渡文化 かぼとぶんか

アジア 中華人民共和国 AD 

 浙江省余姚(よう)県河姆渡遺跡を標準とする新石器時代の文化をいう。主に寧紹平原の東部地区に分布している。河姆渡遺跡には四つの文化層があり,第1層は良渚文化早期と類似しており,第2層は馬家浜文化の要素がある。第3・4層は河姆渡文化層で,上の両層よりも古く,注目すべき出土器物がある。土器は原始的な手づくりの,あらい厚手の不整形で,低温で焼かれた夾炭黒陶が最も多く,混ぜられた植物の茎葉砕片やもみ殻が焼けて炭化し,土器を黒色にしている。夾炭黒陶は第4層では最大量を占めるが,第1層に至るほど漸減し,第1・2層では焼成温度の高い砂混じりの夾砂紅陶・灰陶が優勢となる。第4層の土器の主なものに,釜・罐(かん)・鉢・盤・器台がある。釜が四つの層を通して出土し,形態と装飾が最も多様なところから,釜を南方地区新石器文化の特徴とする見解がある。第3層出土の(そう)は,蒸気熱を利用した穀物の蒸し器で,のちに朝鮮・日本などに伝わり,東アジアに特徴的な穀物を蒸して食べる調理法を普及させたものである。また紡錘のほか,濃茶の文様を施した数個の彩陶片も発見されている。遺跡層が地下水面下にあったため,多くの木器が保存され,耜(し。すき)・碗・盆・かい・杵・矛・紡・紡錘などのほか,組み合わせ部品用と思われる大小の棒が発見されている。第4層には骨器が非常に多く,石器は少ないが,第1層に至るほど,石器が漸増して骨器が漸減し,河姆渡文化では骨器の比重が大きかったことが知られる。骨器には・針・管状針・梭形器・笛などあるが,大型哺乳動物(水牛?)の肩胛骨を加工した多くの耜が注目をあびた。石器は小型のあらい磨製で,斧・手斧・のみ・紡錘などがある。第4層の住居址に,多くの稲の穀粒・茎葉の堆積が発見された。栽培稲のセン※注1※亜種晩稲型水稲と鑑定され,紀元前約5000年のもので,現在のところ,東アジアにおける水稲の最古の実物標本といわれている。また,とち・ひし・桃の実,ヘちま・はとむぎや,なつめの一種なども出土している。家畜には犬と豚がおり,水牛もいたようである。土器面に豚,または豚と稲穂の刻まれたものがあり,小型の陶豚もある。ほかに,多種類の獣・鳥・魚などの骨も出土している。当時の河姆渡地域では,すでに骨耜・木耜などによる稲作農耕が行われ,家畜を飼育し,狩猟・漁労や採集もかなりの比重を,占め,種々の生産・生活の器具を作り,紡織も行われていたのである。住居は大きな材木で構築された高床式で,柱をくりぬいてはりや板をはめこむなど,やや高い技術が用いられている。素朴な芸術品も多く,木彫の魚,骨彫の匙・こうがい,陶製の魚・人頭像,象牙彫の鳥などのほか,玉製の管・珠・ケツ※注2※・コウ※注3※の装飾具がある。また朱紅色の漆器の木碗もあり,生漆と鑑定され,中国で最古のものといわれる。出土した50余種属の動物の生態および植物遺存と花粉分析が明らかにした植生の状態から推測すると,当時この一帯は,現在よりも温暖多湿で,現在の広東・広西等の地区に近く,山麓に接した大小の湖沼が散在する草原灌木地帯であったようである。河姆渡文化の年代は,ほぼ紀元前5000年ごろにあたるといわれ,揚子江下流域における最古の新石器文化であり,黄河中流域や山東地域の文化と並んで,中国の早期新石期文化の一つの中心である。

〔参考文献〕中国社会科学院考古研究所編著『新中国的考古発現和研究』1984,文物出版社

文物編集委員会編『中国考古学三十年』1981,平凡社

張光直『考古学よりみた中国古代』1980,雄山閣

貝塚茂樹『中国古代再発見』1979,岩波書店

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