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●株仲間の解放 かぶなかまのかいほう

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 株仲間解散令ともいう。幕府の天保の改革のなかで,1841年(天保12)12月13日,江戸十組問屋を召し「問屋者不正之趣」を追及しつつ冥加金1万2.000両の上納を免じ,解散を命じた。これと同じものを大坂では12月23日,京都では1842年3月13日に命令している。しかしその後は徹底せず,十組問屋のみに終わったのかというとそうでもなく,そのほかのものもやめさせている。これを補充する解散命令の検討が必要である。さらに大津でも出ている。兵庫でも株仲間停止令が出ている。名古屋藩はじめ各地に波及して株札の取り上げが進み,株仲間の解散の影響は大きい。除外例としては質屋・古本屋・古道具屋などがあげられる。株仲間解散後,一般的には株仲間の名称を用いず,私の規約を設け自主規制組織をつくるものも出たが,仮任法で効果は薄く,全体的には株仲間解放令の影響は大きい。もちろんどこかに再興することとなる期待感はあった。水野忠邦が1843年9月免職となると御取締御改正の筋はなかなか生ぜず,その期待を裏切った。この再興を建議したのは遠山景元で,1845年(弘化2)江戸町奉行にカムバックしてからである。初め却下されたが,ついに取り上げられ1851年(嘉永4)に再興されることとなった。そのときは水野は再勤した老中も罷免されたのちのことである。