●狩野芳崖 かのうほうがい
アジア 日本 AD1828 江戸時代
1828〜88 明治時代前期の日本画家。長門国長府藩の御用絵師、諸葛晴皐の子として生まれ、19歳のとき、江戸に出て狩野勝川のもとに入門して画事を学んだ。そのとき、同門に彼の終生の盟友となった橋本雅邦がいた。彼は幕末動乱の期には、一時、画筆を捨てて国事に奔走したが、1877年(明治10)再び画家を志して上京した。しかし、折しも旧物破壊・文明開化の風潮の盛んなときで、日本画家の彼は生活に窮し、砲兵工廠の図案課などで働きもした。しかし国粋保存の運動がおこるにつれて、理解者も現れ、ことに1884年(明治17)、第2回内国絵画共進会に『桜下勇駒図』と『雪景山水図』を出品したのが機縁で、フェノロサに認められ、ついで岡倉天心と相識り、翌1885年(明治18)には文部省図画取調掛りに任じられた。芳崖はフェノロサや天心の思想に共鳴して、西洋画法を摂取して狩野派の近代化に取り組み、東京美術学校の創立にも参画したが、その開校をみないで没した。彼の作品としては『不動明王図』と絶筆となった『悲母観音像』(ともに、東京芸術大学蔵)が代表的なものである。