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●ガーナ王国 ガーナおうこく

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 8〜11世紀に西アフリカの半乾燥地帯に栄えた古王国。フランス語圏の著者は帝国と呼ぶ場合が多い。現在,アフリカの西海岸に存在しているガーナという国は,旧黄金海岸の独立に際してエンクルマ大統領が,アフリカの過去の栄光を記念して新国家に命名したもので,ガーナ王国とは歴史的関係はない。本来のガーナ王国は,セネガル川上流とニジェール川上流を結ぶ地帯の北方内陸部に位置していた。この地方は現在では大半がサハラ砂漠に含まれてしまっているが,当時はもっと湿潤であり,現在北緯16゜にとどまっている農耕可能地北限も,当時は北緯18゜まで伸びていたと想定されている。西アフリカ諸王国の国家形成の典型的なパターンは,サハラ砂漠南縁部のサヘル(アラビア語で海岸を意味する)地方に,サハラ横断の長距離交易による商業活動とイスラームの刺激を受けて成立する国家であるが,ガーナ王国は,サヘル国家の最も古い例である。

【サハラ交易の発展】広大な砂漢を横断するサハラ交易の発展は,紀元前後のサハラ砂漢へのラクダ導入に始まる。その主要な担い手として活躍するのは,モール人として知られる,べルベル族の一派サンハジ族である。ガーナ王国の起源は4世紀ごろにさかのぼるとされるが,それはラクダがサハラに普及した時期に相当している。そのころはべルべル系の白人王朝であったが,ガーナ王国として知られるようになる8世紀には,黒人支配の王朝に変わっていた。その黒人とは,ガーナ王国伝承地に現在多数分布している,マンディング語族のソニンケ族(サラコレともいう)の祖先であったと考えられている。王都は現在モーリタニアの砂漢中に位置するクンビ=サレーにあったが,位置は必ずしも一定していなかった。クンビ=サレーのさらに北方には,アウダガストが重要な交易都市として成長し,南モロッコのシジルマサーなどの北アフリカの交易都市とのあいだで,交易活動を盛んに行った。ガーナ王国の主要輸出品は金であり,その金は,ヨーロッパとイスラーム世界における金貨鋳造の促進と貨幣制度の確立に寄与したとさえいわれている。金の産地はしかし,ガーナ王国南方,セネガル川上流のバンブクと,ニジェール川上流のブレにあり,産地とガーナの交易都市とのあいだの交易は,原地民の仲介に依存していた。それも仲介の商人が金の採掘者と直接取引するのでなく,一定の場所に放置された金を一定の物品と交換する「沈黙貿易」に頼っていたようである。

【国家構成】ガーナというのは王の呼称の一つで,一説には「戦いの王」を意味した。アラブの地誌家アル=べクリによれば,実際,王は20万の軍隊を動かせたという。他方,王は「土地の主」を意味するカヤ=マガーという呼称ももち(一説には「宝の主」を意味する),イスラーム化せず神聖王として君臨していた。聖なるタイコが王位の象徴としてあり,王位は母系によって継承された。王都は,王と土着の非イスラーム住民が居住する街区と,長距離交易にたずさわる人々が居住し,隊商に水を補給するための井戸が多数掘られた商区とにわかれていた。商区には12のモスが建てられ,イスラーム教徒の街区となっていたが,キリスト教徒やイスラーム教徒も居住していたといわれる。

【王国の衰退】ガーナ王国の衰退は,アルモラヴィッドの勢力の伸張とともに始まる。サハラ交易の担い手であったべルベルのサンハジ族はしだいに勢力を蓄え,その一部からおこったアルモラヴィッドは,モロッコ・スペインにまたがる大帝国の建設者となったが,ガーナ王国の王都も1077年アルモラヴィッドの手に陥ちた。しかし,その支配力はそれほど強力でなかったため,ガーナ王国は有名無実化した形で,14世紀ごろまで存続した。

〔参考文献〕山口昌男「黒い大陸の栄光と悲惨」『世界の歴史』6,1977,講談社

シューレ=カナル,野沢協訳『黒アフリカ史』1964,理論社