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●ガーナ

アフリカ ガーナ共和国 AD 

 西アフリカのギニア湾岸にある共和国。面積238,537平方km,人口1,694万人(1996年)。首都はアクラ。ガーナという国は西歴11世紀ごろに,サハラ砂漠を横ぎる隊商(岩塩と金が最も重要な交易品であった)が,盛んに往来したルートを中心に成立したアフリカ人の国家で,1076年にアルモラヴィド帝国(今のモロッコを中心としたべルべル人のイスラーム王国)に侵略されて撃退し,13世紀中に消滅したといわれる。サハラ以南のアフリカ人が建設した最初の国家と評される。この古代ガーナの所在地は,現在のセネガル東部からマリ西南とモーリタニア南部にわたる地域で,セネガル川上流とニジェール川上流を含む河川交通の便にも恵まれていたサヴァンナ地帯であった。したがって,現在のガーナ共和国の所在地とはまったく無関係な所にあった。それにもかかわらず,古代アフリカ人国家の名称を,ゴールド=コーストを1959年に独立させたクワーメ=エンクルマが採用したのは,〈サハラ砂漠以南の植民地のなかで最初に独立した〉という誇りをサハラ以南のアフリカ人の最初の国家の名称によって,象徴させるためであった。ガーナにつづいて1960年に独立した仏領スーダンが,中世のアフリカ人国家としてガーナのあった地域に,ガーナに代わって14世紀前半に繁栄したアフリカ人帝国マリの名を,採用する原因をつくったと考えられる。

 今日のガーナ共和国のある地域には,19世紀中ごろまでギニア湾岸にファンティ王国,内陸にアシャンティ王国,その北方にゴンジャ王国・ダゴンバ王国など多くの部族王国があったが,金や奴隷の貿易のためポルトガル・オランダ・デンマーク・イギリスなどが競ってその海岸に貿易基地をつくった。1874年になってイギリスがアシャンティ王国を征服し,ギニア湾岸をゴールド=コースト植民地とした。1901年にはアシャンティ以北の北部がイギリス保護領とされ,ゴールド=コースト植民地および保護領という政治単位が確立した。伝統的な輸出品である金のほか,ココアの栽培によって世界最大のココア輸出国となり,木材・コーヒー・ヤシ油・ココナッツなども輸出されてゴールド=コーストは,経済的に恵まれた植民地に発展した。その結果としてアフリカ人の民族資本が蓄積され,ナショナリズム運動もサハラ以南のアフリカでは,最初にゴールド=コーストに出現した。その背景の下に1947年「統一ゴールドコースト協議会UGCC」という政党が出現したが,その書記長だったクワーメ=エンクルマは,より戦闘的な政党「議会人民党CPP」を結成し,1950年1月に革命的な活動を決行して独立を要求したため,捕えられて投獄された。しかし,イギリス議会は自治を認めるゴールドコースト憲法を,1950年12月に成立させ,翌年2月には新憲法による立法議会の選挙が行われ,エンクルマは獄中から立候補して当選したため,大赦によって釈放された。エンクルマは自治政府の首相に選ばれたが,その全アフリカの非植民地化とパン=アフリカニズム(アフリカ団結)の運動は国際的に評価され,1957年3月6日にゴールド=コーストはガーナという国名で独立し,エンクルマは初代首相となった。そして1960年に共和制を採用して初代大統領に就任した。しかし,その後エンクルマは国際的な言動を強め,国内的には独裁的性格の政策が多くなった。過大な開発計画の失敗・ココア価格の下落などで国民は経済的な困難に苦しむにいたり,1966年2月に軍部のクーデタによって失脚したエンクルマは,ギニアに亡命した。その後のガーナはアフリカにおける指導的役割を失い,1969年文民政権への復帰,72年軍クーデタなど政治的不安定が続いている。現在1982年1月のクーデタによって,ローリングス空軍大尉が国家元首になり,暫定国家防衛評議会のクーデタ計画が繰り返し伝えられ,不安定な状勢にある。

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