●可敦城 かとんじょう
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中国,遼代には,可敦城と呼ばれた場所は3カ所あった。まず遼が西北部の室韋・羽厥などの諸部族経略の根拠地として,聖宗の1004年(統和22)に,諸部族2万余騎をもって設置された上京道鎮州建安軍がある。これは,漢北の可敦城であって,遼末に西遼の始祖耶律大石が西奔の途次に駐屯したことで,史上に著名である。その2は,上記の鎮州が遼末になって遷移せられ,同じく河董城と称された地である。これは,邱処機の『長春真人西遊記』にみえる契丹所建の故城跡のことであり,ウルシュン河畔にあった。第3の可敦城は,すでに唐代において,豊州中受降城の地に属したもので,遼代には,西京道雲内州開遠軍の管下に入っていた。以上のほか,高昌(今のトルファン)に使した宋の王延徳の『高昌行程録』のなかにみえる,張掖河畔の唐の回鶻公主の居城を可敦城に比定する見解もあるが,これには異論があって未だ断案をみない。