●加藤高明 かとうたかあき
アジア 日本 AD1860 江戸時代
1860〜1926(万延1〜大正15)明治・大正の外交官・政治家。幼名を総吉。尾張藩出身。尾張佐屋の服部重文の子として生まれ,1872年(明治5)加藤家を継ぎ,1874年に名を高明と改める。東大卒業後,三菱に入りイギリスへ留学。帰国後,三菱本社副支配人の地位につき,岩崎弥太郎の長女と結婚。1887年より官界入りした。大隈重信外相の秘書官兼政務課長・大蔵省局長・駐英特命全権公使などをへて,1900年第4次伊藤内閣の外相となり,日英同盟の推進などに尽力した。以後東京日日新聞社長・第1次西園寺内閣の外相・駐英特命全権大使・第3次桂内閣の外相を歴任。1913年(大正2),立憲同志会を結成して,桂の死後に総裁となった。翌年第2次大隈内閣の外相として,第一次世界大戦への参戦・対華21カ条要求などの指導にあたった。その後同志会を改称した憲政会の総裁の地位にあって,元老政治の打破・選挙権拡張をめざして10年ほどの在野生活を送った。1924年清浦内閣の成立に際し,政友会・革新倶楽部とともに護憲運動(第2次)を展開,翌年いわゆる護憲三派内閣の首相となった。この内閣は政党自身の力でできた最初の内閣で,普通選挙法・治安推持法を制定するが,財閥の利害を代表する憲政会と地主の立場に立つ政友会が内紛を起こし総辞職した。さらに翌年憲政会単独の第2次加藤内閣の組織に成功したが,在任中に病没した。
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