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●加藤清正 かとうきよまさ

アジア 日本 AD1562 室町時代

 1562〜1611(永禄5〜慶長16)長年秀吉に仕え,秀吉の死後石田三成との対立から豊臣家を離れた安土桃山〜江戸初期の武将。秀吉と同郷の尾張国中村(名古屋市中村区)の生まれ。賤ケ嶽七本槍の一人として武名高く秀吉の統一戦争に多く参加,朝鮮出兵時にも戦車の祖型ともいえる亀甲車の採用など挿話も多い。慶長の役では蔚山で苦戦,関ヶ原の戦いでは家康方につき,戦後は肥後74万石の領主となった。3重6階の天守閣をもつ熊本城とその城下町を建設,農民に還住を命じ,荒地・刈田への麦種子貸付,私用夫役の禁など一連の勧農政策がみられる。現在の熊本平野は清正の新田開発,河川工事を土台として成立している。熱烈な日蓮宗信者として領内に日蓮宗寺院建立をすすめ,一方キリシタン弾圧を強めている。晩年は江戸城普請,大坂城普請に率先して協力,縄張り上手ぶりを評価され徳川家への従属を強めた。文芸や茶道にもいそしんでいる。

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