●桂太郎 かつらたろう
アジア 日本 AD1847 江戸時代
1847〜1913(弘化4〜大正2)明治の政治家・陸軍軍人。名を清澄,通称寿熊・左中・太郎。号を海城。長州藩出身。萩城下に生まれ,1863年(文久3)の馬関戦争に初めて参戦。戊辰戦争では,長州藩第4大隊2番司令として奥羽の各地を転戦した。その軍功で賞典禄250石を賜り,それを資金として,1870年(明治3)兵制研究にドイツへ留学し,1873年に帰国した。その後,陸軍歩兵大尉・ドイツ駐在武官をへて,1878年参謀本部入り。1886年陸軍次官となり,山県有朋・大山巌らを補佐して,日本陸軍を近代的軍隊にするために力を尽した。軍内諸制を整備するとともに,フランス式兵制をドイツ式に改めもした。日清戦争では第3師団長となり,戦後子爵となった。1898年から,第3次伊藤・第1次大隈・第2次山県・第4次伊藤の各内閣の陸相を務め,1901年内閣を組織(第1次)。1908年に第2次内閣,1912年に第3次内閣と首班を務めた。最後の内閣のあいだに,政友会に反して新党結成を企て,1913年(大正2)立憲同志会の結成をみたが,同年病没した。
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