●学校令 がっこうれい
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1886年(明治19)以後,1947年(昭和22)の学校教育法公布にいたるまで,わが国の学校制度を規定した学校種別の教育法規の総称。初代文部大臣森有礼は国家主義教育体制の樹立につとめた。1886年には帝国大学令・師範学校令・小学校令・中学校令などが相次いで制定され,学校令方式による教育法体制の樹立に先鞭がつけられた。従来の教育法が諸学校を包括する法規であったのに対して,学校令は学校種別ごとに定められた。これは単に立法技術上の措置ではなく,学問と教育を分離する思想にねざしている。おのおのの学校には共通の教育目的は存しなかったのである。学校を国家須要の人材を養成する手段ととらえる発想が根底にあり,国家目的のために奉仕すべき役割を学校種別ごとに定めたのである。また,学校令はいずれも勅令として発せられた。これは,教育は国家目的に従属すべきものであって,国民の教育要求や利害に左右されるべきではないという考えによって支えられていた。