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●カツオ・マグロ漁業 カツオ・マクロぎょぎょう

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【沿革】カツオ・マグロ漁業は,現在わが国で最も重要な漁業の一つである。その生産量はカツオとマグロ合わせ昭和58年度に56万tとなっているが,ここ10余年間,低迷をつづけている。まずその沿革をみよう。石器時代には,貝塚から相当にカツオやマグロの骨が発見されている。当時カツオの大群が浜辺に押し寄せてきて,そのうちの何尾かは,砂上に跳ね上がり,これを手づかみしたり,角骨製の釣針・もりなどで捕ったのであろう。古くは生食せず,干してのみ食したようで,干すと堅くなるので堅魚などの文字が当てられている。カタウヲからカツヲ,カツオとなったと考えられる。王朝時代には堅魚・煮堅魚・堅魚煮汁などが副食・調味料として用いられていたようである。鎌倉時代から室町時代にはカツオ製品の需要が増し,釣り漁業も発達した。戦国時代になると,カツオは勝負に勝つうおとして,武士のあいだに盛んに用いられ,カツオは兵食用として珍重された。このころ,カツオは主として釣獲していたが,湾内に入ったカツオ・マグロを獲るのに定置網が使われはじめた。一方,マグロは関東地方で用いられる比較的新しいことばで関西地方ではシビと呼ばれる。『古事記』には,〈しびつくあまよ……〉,また櫛八玉神(くしやたまのかみ)が大国主神(おおくにぬしのかみ)のために〈ちひろなわうちのべて,おはたすすきをつらしめたまひし……〉とあり,『万葉集』にも,〈しびつくと,あまのともせる,いざりびの……〉などとあるところから,マグロは突くか延縄などで釣っていたのではないかと推定できる。しかし,徳川時代初期には〈シビという言い方は死日というように聞こえて不吉だ〉といわれ,マグロは嫌われたようである。その後平和な時期になると,マグロ類が各地で網漁具・釣漁具などで獲られるようになり,海岸近くに来遊したカツオやマグロも,定置網の初期の建切網などで漁獲された。関東以北,三陸で獲れるクロマグロは美味でその背の色が,真っ黒いことから転じてマグロという呼び名が生まれ,シビからの脱却もあった。

【分類と形態,分布】カツオは,スズキ目,サバ科,カツオ亜科に属し,1属1種である。第1背鰭15〜17刺,第2背鰭13〜14軟条と8副鰭,しり鰭2刺13〜15軟条と7副鰭,体は紡錘形で,肥満している。体の背面は暗青紫色で腹側は銀白色4〜10の黒色縦帯があるが,この縞は,多くの場合,生きているときは現れない。体長は1mに達するものもあるが,通常50cm程度である。代表的な回遊魚であり,水温19〜30度の熱帯から温帯に分布する。マグロはカツオと同じく,スズキ目,サバ科に入るが,マグロ亜科に属する。マグロ亜科のマグロ属1属をクロマグロ・ミナミマグロ・ビンナガ・メバチ・キハダ・コシナガ・タイセイヨウマグロの7種に分けるのが妥当であろう。クロマグロはクロシビ・ホンマグロ・シビ,クロシビ若魚をヨコフ・メジ・クロメジと呼ぶ。英名はtuna,bluefin tunaである。マグロ類中で最も大型となり,体長4m内外,体重500kG前後に達し,世界の温暖域に分布する。メバチは,バチ・メンバチ・メブト・ヒラシビなどとも呼ばれ,英名はbiGeYe tunaである。体は高くて太い。頭と眼は大きく胸鰭は長くてリボン状を呈する。マグロ類では中型で,大きいものは体長2m,体重150kGになり,熱帯・亜熱帯に広く分布する。キハダはキワダ・キワダシビ・ゲスナガ・イトシビ・シピ・バシなどとも呼ばれ,英名はYellowfin tunaである。頭や眼は小さく,尾部が長い。体の背部は青黒色,側部は黄色味を帯びる。第2背鰭・しり鰭および離鰭は鮮明な黄色を呈する。体長2m,体重200kGに達する。熱帯・温帯域に広く分布する。ビンナガはトンボ・ビンチョウ・ビンチョウマグロ・トンボシビなどと呼ばれ,英名はalbacore,Germonである。体は紡錘形で肥厚し,うろこで包まれている。胸鰭は著しく長いリボン状を呈し,第2背鰭の基底部を越える。背部は黒青色,腹面は銀白色である。最も小型のマグロ類で,体長1.2m,体重30kGほどであり,世界の温暖水域に分布する。ミナミマグロは,ゴウシュウマグロ・インドマグロなどとも呼ばれ,英名はsouthern bulefin tunaである。外見はクロマグロに似ていて,胸鰭や第2背鰭・しり鰭が短い。体の背部は暗青色,腹部は銀白色で体長は180cm余りになる。ジャワ島付近から南半球に広く分布する。マグロ延縄漁業で混獲されるカジキ類は分類上,マグロ類には入らないが,マカジキ・クロカジキ・シロカジキ・メカジキなどがある。

【漁具漁法】江戸時代中期以降,カツオ漁場はやや沖合に移り,明治に入るとカツオ群は沿岸に押し寄せなくなった。1907年(明治40)ごろまでは,かいや帆走による日帰りの操業であった。カツオの技術的先進地は紀州勝浦地方で,ここから,土佐・薩摩・房総・伊豆・三陸方面へ普及していった。これらの漁船は15,6人乗りで日帰り,なかには20〜30人乗り,泊まりがけの操業もあり,釣り竿は5mくらいで,餌は主としてイワシ・小サバ・アジなどが使用され,擬餌なども使用されはじめた。その後,各種の漁業が発達するに従い,カツオ釣り漁業は妨害され,これを克服するため,漁船の大型化が進んだ。漁船には生間(いけま)を設け,餌イワシを活かしつつ運搬するようになった。しかし,1892年ごろからついにカツオ漁業は衰退してきた。1906年静岡県水産試験場が,わが国で初めてといわれる西洋型動力船富士丸(25t)を建造し,18馬力サイクルの米国製電気着火石油発動機を据え付け,活魚槽でイワシを活かし異常な成果をあげた。1915年(大正4)には無動力船が346隻(2,011t),動力船702隻(8,267t)となった。1935年(昭和10)ごろにはバシ海峡・台湾・大東島・小笠原諸島付近で活躍し,さらにマーシャル・カロリン・マリアナ諸島・フィリピン群島にも及んだ。カツオ一本釣りの竿は4〜5m長の竹またはグラスファイバー製の竿とあぐのない擬餌針,ときには餌針による釣獲漁法である。釣り糸は50〜100号で竿とほぼ同長のものを使用する。現在のカツオ一本釣り漁業は漁船の大型化に伴い,周年操業船も増加している。餌料用の活魚槽・釣り台・散水装置・活魚槽用循環ポンプ,ブラインポンプ・排水ポンプ・自動釣り機・冷凍凍結機などが使用されている。また,遠洋カツオ一本釣りは,1980年からの海外まき網漁業(1982年,127,000t)への転換により,漁労体数の減少もあり,減少傾向をたどっている。1982年には153,000tで前年に比べ,16,000tの減少で過去10年間の最低となった。

 マグロ漁は江戸時代,網・釣りによった。当時の網は大敷網・台網・大謀型大網であった。大敷網漁業は長門豊浦郡,肥前五島等を中心に西南地方に達し,台網は富山湾を中心に,大網は陸前牡鹿半島などで発達した。マグロ釣りは一本釣りと延縄で行われた。1891年初めて,全国の漁獲がわかり,540万貫(20,250t)を揚げたが,しだいに減少し,1897年ごろから不振となった。1907年以後遠洋漁業が発達し1923年ごろは沿岸漁業に対して優位になった。このころマグロ延縄漁業とともに刺網漁業が盛んとなった。

 現在のカツオ・マグロ漁業は国連海洋法会議を契機として,需要の減退・魚価の低迷,さらに世界的に200海里経済水域の体制下にあり,混迷をつづけており,省エネルギー漁船の建造,技術革新などが求められている。

〔参考文献〕「かつおトまぐろ」『昭和57年かつお・まぐろ漁業の概況』1984,日本鯉鮪漁業協同組合

増田正一『かつお・まぐろ総覧」1963,水産社

山口和雄『日本漁業史』1979,東京大学出版会

栗田要吉『まぐろ延縄漁業の話』1930,富山県水産会

東水大第7回公開講座編集委員会『マグロ―その生産から消費まで―』1981,成山堂書店

農林水産省統計情報部『昭和57年漁業養殖業統計年報』1984

『新水産ハンドブック』1981,講談社

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