●荷田春満 かだのあずままろ
アジア 日本 AD1669 江戸時代
1669〜1736(寛永9〜元文1)江戸時代中期の国学者。京都伏見稲荷神社の神官,羽倉家に生まれ,初名を信盛といい,のちに東磨・春満とも称した。羽倉家は代々「羽倉風」の歌学を伝える家柄でもあり,春満も幼少のころより神典はもとより歌学を修め,長じては儒学の古学のもとに復古神道を説いた。契沖の万葉学に接して影響を受けたといわれる。国学のための学校創立の必要を説いた上申文『創学校啓』を養嗣子在満(ありまろ)をして幕府に上申させている(1728・享保13)。そのなかで春満は,「儒学の古学運動と並んで,国学においても,従来の儒仏的な古典解釈を超えて,古語・古文によって古典の意義を闡明すべきである」と語釈を重じる実証的方法を主張した。主著に『万葉集僻案抄』『日本書紀訓釈』『伊勢物語童子問』のほかに家集『春葉集』がある。門下のなかには養嗣子在満や賀茂真淵などの傑出した学者が輩出し,国学発展の上で大きな役割を果たした。
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