●カーゾン線 カーゾンせん
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第一次世界大戦後ポーランドの独立にあたって1919年12月連合国最高会議が決定したソヴィエト=ポーランド国境線。ポーランド人はこれに不満でソヴィエト政府に対しポーランド分割前の国境の回復をl920年3月に要求。4月にソヴィエト=ポーランド戦争(1920年4月〜1921年3月)が始まった。ポーランド軍は5月キエフまで進出したがソヴィエト軍は6月より反撃に転じた。イギリス外相カーゾンはソヴィエト政府に覚え書きを送り(7月12日),さきの連合国最高会議の決定した国境線による停線を勧告した。そのためこれをカーゾン線と呼ぶ。ソヴィエト軍は8月ワルシャワに迫ったがポーランドはフランスの援助を得て戦況を有利にしソヴィエト軍を撃退した。1921年3月リガ条約でポーランドはカーゾン線以東の西部ウクライナ・西部白ロシアなど領有することになった。しかし,ソ連はこの“失地”を第二次世界大戦開始と同時に回復(1939年9月)し,1945年8月のソヴィエト=ポーランド国境条約でカーゾン線を両国の国境とすることが最終的に確認した。