●嘉靖帝 かせいてい
アジア 中華人民共和国 AD1507 明
1507〜66(在位1521〜66)明の第11代皇帝,姓名は朱厚熄,諡(おくりな)は粛皇帝。父興献王の後を継いで興王となるが,武宗正徳帝の急死により大学士楊廷和らの献策で入朝即位する。世宗の治世は北虜南倭の外患に最も苦しめられた時期であるが,内政の面においても賦役制度の改革や京営の改革など,諸制度の改革が迫られる時期であった。世宗は即位早々には宦官政治の刷新などで善政を期待されたが,入朝儀式に端を発する大礼の議がおこると,楊廷和ら直諌の臣を排して,青詞宰相と蔑称さる腹心を重用するにいたった。さらに,廟制(びょうせい)や孔子の祀典などを更改し,永楽帝の廟号を成祖と改め,生父を睿宗興献帝と定めるなどし,また,廃仏と見紛う宮中仏教の粛正を行うなど,典礼・祭祀の見直しに熱中していった。一方,宦官催文らのすすめる道教に傾倒,邵元節や陶仲文らの道士・方土を寵遇して方術を重んじた。方士王金の献じた秘薬を服して変死し,永陵に葬られた。
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