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●化政文化 かせいぶんか

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 江戸時代の後期,江戸を中心として展開し,文化・文政期に最盛期をむかえた文化現象。天明の社会的混乱と寛政の緊張した改革政治をへて,都市も農村も,矛盾をはらみながらも活況を呈してきた。文化の創造,受容への参加者,いわば文化の担い手は,身分的・地域的にも拡大し,国民的規模で文化は進展した。

【文化の担い手の拡大】支配体制の強化のため武士社会において教育養才が重視されるようになった。幕府が林家の家塾的存在であった昌平黌を官営の学校(昌平坂学問所)とし,諸藩においても藩校の整備・設立など,武士の学問を進展させた。また,これまで上層町人中心の町人文化に中層・下層の者まで参加するようになった。江戸では三座の大芝居(歌舞伎)に対抗して社寺地に宮地芝居の小屋が続出して観客を集め,寄席も繁昌した。寺社参詣・縁日・花見など町民の遊びも活発となり,踊りや音曲など遊芸を習う者も増えた。読書が庶民生活に定着し,黄表紙・合巻などの草紙類には1万部以上のベストセラーもでて,貸本屋は江戸で700軒,大坂で300軒という激増ぶりであった。

【表現形式の多様化】創造と受容の活発化につれ文芸・芸術・芸能に新しい表現形式が生まれた。小説では洒落本・黄表紙・合巻,滑稽本人情本・読本など,形式内容ともに工夫のこらされたものが刊行され,文芸の商品化がすすんだ。川柳・狂歌など遊びの文芸も大いに盛んとなり,俳諧の宗匠は各地に現れ,連衆への加盟者は全国各地に広がった。演劇では歌舞伎が全盛で「せり」や「回り舞台」の装置により舞台はいっそう華麗になった。なかでも4世鶴屋南北生世話狂言は殺人・幽霊・濡れ場を題材に倒錯美を盛りあげた。絵画では田沼時代に成立した錦絵が,歌麿・写楽以後,庶民芸術の性格を強め,美人中心から自然と生活を描く北斎・広重の風景画などに及び,多彩を極めた。知識人のあいだでは文人画・写生画がよろこばれ,前者では池大雅与謝蕪村のあとに谷文晁田能村竹田らが現れ,渡辺崋山は西洋画の手法を取り入れるなど写実性をも高めた。写生画は京都におこり,円山応挙呉春らが活躍した。平賀源内のあとをうけて西洋画家も現れた。その一人司馬江漢は西洋銅版画の導入で亜欧堂田善とともに有名である。かくして表現技法の新工夫があらゆる分野で発揮されたのである。

【新しい思想・学問】国学・蘭学は,一層の普及をみた。国学は本居宣長のあとをうけて江戸で平田篤胤が推進したが,各地にも国学者が現れ,地方の豪農や神官に受容された。蘭学は幕府の統制下で規制されたが医学・天文学のほか西洋諸科学の基礎が導入され,シーボルトの鳴滝塾に全国から人が集まったように,蘭学を志す者が増加した。天保の危機の時代には渡辺崋山高野長英らが政策面に蘭学を反映させようとした。

【幕府の文化統制】文化の新動向は,封建制をむしばむものでもあったので寛政改革以後,出版統制が強化され,現実に即した描写や論評は統制をうけた。蘭学研究にも統制が加えられ,シーボルト事件蛮社の獄など洋学弾圧事件がおこった。浮世絵も華美で高価なものや好色なものは禁圧をうけた。天保改革でも為永春水柳亭種彦が弾圧されるという,江戸文化は厳しい状勢下にあった。

【国民文化の形成】化政文化の特色は江戸において顕著に現れたが,京坂はもとより各地に地域性豊かな文化が進展した。広瀬淡窓菅茶山の場合のように地方にも有名な学塾が現れ,寺子屋は各町村に普及した。本屋も全国主要都市で営業し,書物の販売網,政治・社会・経済に関する情報の流通も全国化した。伊勢参宮善光寺詣なども盛んで,観光をかねた寺社詣が庶民のあいだに流行した。かくして化政期の文化活動は国民的規模で進展し,近代文化形成の基盤となったのである。

〔参考文献〕村屋辰三郎編『化政文化の研究』1976,岩波書店

西山松之助編『江戸町人研究』1〜5巻,1972〜78,吉川弘文館

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