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●何進 かしん

アジア 中華人民共和国 AD 

 ?〜189(中平6)中国,後漢の外戚。南陽郡宛(河南省南陽県)の人,字は遂高。生家は卑しい屠殺業者であったが,同郷の宦官郭勝に贈賄し,腹ちがいの妹を宮中に入れ,妹が霊帝の寵愛を受け皇子弁を生み皇后となると,外戚として権力を振るった。184年,黄巾の乱がおこると大将軍に任命され近衛兵を率い,西園に八校尉を置いたが,帝は宦官蹇碩を信任したため,蹇碩と何進が反目した。この対立は霊帝の死を契機に先鋭化し,蹇碩は王美人の子協(献帝)を即位させるため何進暗殺を謀る。進は危く逃れて弁(少帝)を即位させ,何太后が朝権を握り,何進は太傅遠隗とともに補佐した。何進は袁紹とともに宦官誅滅の計画を練り,まず蹇碩を誅殺した。しかし,進の優柔不断と何太后の反対で計画は進展せず,袁紹ら強硬派は進に董卓ら地方の猛将の上洛を命令させ,太后に圧力をかけた。結局,何進は何太后を説得していることばが宦官に漏れて殺され,激昂した袁紹らか宦官を皆殺しにした。