●梶原景時 かじわらかげとき
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?〜1200(?〜正治2)鎌倉時代前期,源頼朝配下の部将。桓武平氏。相模国五郎景清の嫡子。その子景季。1180年(治承4)大庭景親とともに源頼朝と石橋山に戦ったが頼朝に通じて危急を救い,のち頼朝に属して信任された。1184年(元暦1)源義仲追討書に属して上洛,源範頼らと生田森で戦功をたてた。1185年(文治1)源義経に属して平氏追討に従った。屋島攻撃のとき逆櫓の策を提案したが,容れられなかったので,壇浦の戦い後,義経を讒して失脚させ,頼朝の信任を篤くした。侍所所司・厩別当の要職につき,1190年(建久1)頼朝と上洛し後陣の奉行となった。和歌を嗜み,弁舌に巧みであったが,性狡猾で他人を陥れること多く,畠山重忠もその一人である。1199年(正治1)頼家に結城朝光を讒言したことから三浦・和田らの重臣と対立し,鎌倉を追放された。そこで源氏の一族武田有義将軍擁立計画を謀ったが,1200年(正治2)駿河清見関で幕府に阻止され,狐崎で御家人に討たれた。