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●哥舒翰 かじょかん

アジア 中華人民共和国 AD 

 ?〜756(天宝15)中国の唐の武将。祖先は突騎施の哥舒部の人。漢籍に通じ,施しをもって人心を得た。吐蕃軍を撃破して名をあげ,右武衛員外将軍隴右節度副使都知関西兵馬使河源軍使となる。やがて玄宗李隆基の信任を得て鴻臚卿兼西平郡太守摂御史中丞となり,王忠嗣にかわって隴右節度支度営田副大使知節度事となった。さらに河西節度使を加えられ西平郡王に封じられたが,安禄山と仲が悪く,楊国忠と結んだ。ついで太子太保となるが酒色にふけって廃疾となった。安禄山がそむくと皇太子先鋒兵馬元帥となり,尚書左僕射同中書門下平章事を加えられて潼関の守りについた。が,楊国忠と不和を生じ,安禄山の軍に敗れてくだり殺された。