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●何承天 かしょうてん

アジア 中華人民共和国 AD370 

 370〜447 中国,南朝宋の学者・暦学者・政治家。山東省郊城県の人。5歳で父を失ったが,博学な母徐氏(徐広の姉)より儒史百家の学を受けた。東晋末,太学博士となり,宋代には,尚書祠部郎・衡陽内史・著作佐郎・太子率更令・国子博士をへて御史中丞に累遷。のち,吏部郎任官の内命を事前にもらして免官となった。博学であらゆることに建議し,いわゆる元嘉の治に活躍した代表的文人貴族である。438年(元嘉15)の雷次宗の儒学館についで,翌年,玄学館・史学館・文学館のいわゆる四学館が立てられると,著作佐郎として史学館で教授し,国史の選述にしたがった。また暦法にくわしく,443年(元嘉20)には実地の観測によってつくった新暦術を上奏した。これは445年(元嘉22)から何承天の元嘉新暦として施行された。また文帝代の奉仏家顔延之,宋柄らと仏教教義をめぐって論難をかわし,神滅論の立場で著した『達性論』かある。