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●鹿島信仰 かしましんこう

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 茨城県鹿島郡鹿島町にある鹿島神宮を本宮とする信仰。関東地方から東北地方にかけて,その信仰範囲は広い。ことに茨城県内には鹿島神をまつる神社が多く400社以上に及ぶ。祭神は建国の大功神としてあがめられる武甕槌命(たけみかずちのみこと)で,武徳の祖神とされ,農業・漁業や安産の守護神として皇室・武将・庶民の信仰を集めてきた。常陸(ひたち)国は大和朝廷の東北経略にさいしての拠点で,利根河口は古代海上交通路の上で東国への門戸として重要な地点であった。利根河口両岸に鹿島・香取の両社がまつられたのも,軍神の霊威によってその加護を祈ったものであろう。鹿島神宮の社殿が北向きに建てられるのもそのためという。東北地方,とくに福島と宮城の2県には多くの御子社がまつられた。『常陸国風土記』に〈年別の四月十日に,祭を設けて酒のみす。卜部氏(うらべし)の種属,男も女も集会ひて,日を積み夜を累ねて,飲み楽み歌ひ舞ふ〉と記され,神社近くに卜部氏が住み,4月の祭りを盛大に行った。鹿島神は農神として信仰され,この4月祭も稲作の豊穣を祈念した祭りである。現在3月9日に行われる祭頭祭はこの4月祭で,祭頭は中世の文書に見える“四月祭の頭役”から出た名称らしい。南郷と北郷各33か村からそれぞれ一村ずつ翌年の当番村が神籤によって決められる。当番村は左方・右方大頭として祭典を執行する。また風土記に〈年別の七月に舟を造りて津の宮に納め奉る〉とあり,鹿島の神が水上交通神として信仰されていたことがわかる。現在も12年ごと9月1日に御船によって神幸する御船祭が行われている。鹿島神宮では古くから神卜が行われていた。正月4日が御占祭で亀甲を焼いたが,のちには木札を用いるようになった。近世には卜占によって1年の豊凶が託宣されると,鹿島の事触(ことぶれ)と称して,明神の祓札を人家に配布したり路頭で神託と称して占う者が現れた。また諸国に疫病が流行したとき鹿島の神輿が出て疫病退散の踊りが行われ,鹿島踊といって諸国に流布した。茨城県から東海地方の沿岸部にかけて弥勒(みろく)信仰と結びついた踊りと歌とがある。茨城県の鹿島町では鹿島踊をみろく歌に合わせて踊る。歌は〈世の中は万劫(まんごう)末代みろくの船がつづいた。ともえには伊勢と春日,中には鹿島の御社,米の三合まこうよ,何事もかなえ給えや,常陸鹿島の神々〉と歌う。同県の常澄村大野地区のみろく踊は,長方形の木枠の中で鹿島・香取・春日の3神を表した赤・黄・緑の3体の人形をあやつって踊る。歌は〈天竺では十三姫が米をまく。ただはまくまい,日本繁昌と米をまく。鹿島の浦には宝の御船がつんづいた。ともえには伊勢・春日の中に鹿島の御社,繁昌,繁昌〉とある。豊作をもたらす穀霊がみろくで,海の彼方から鹿島に来臨されるという信仰であった。鹿島神宮では正月14日に常陸帯神事を行っている。常陸帯は神功皇后御着帯の御腹帯と伝えられ,中世には女性が神前で縁のある男性を選んでもらう習俗ともなって盛んに行われた。現在でも鹿島神を安産の神として信仰しているところも少なくない。茨城県内原町の子安講では,鹿島大神宮・常陸帯御守護のお札を入れた木箱をお産のある家に安置し安産守護を祈る。同県大宮町では安産祈願を主とした主婦たちの講をカシマッコ(鹿島講)という。また同県の北部に大助(おおすけ)人形という年中行事がある。7月10日,わら人形をつくって村境まで運び,それを燃やしてその火にあたったり,人形を田畑に立てたりして,子供たちが〈お鹿島のおおすけ,鬼に勝ったあ,みいさいなあ〉などと叫ぶ。『新編常陸国誌』には鹿島神が蝦夷征伐をしたとき国人が兵役に供した遺風と記してあるが,疫霊や害虫を退散させる人形送りの習俗に鹿島信仰が習合し,鹿島神の威力を借りて災疫を送り出した呪術であろう。東北地方,ことに秋田県大曲市を中心とした地方の鹿島流しや,青森県西海岸で人形をつけた鹿島船を流すなど,いずれも同じ信仰にもとづく行事とみられる。

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