●勘解由使 かげゆし
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令外官。国司交代にさいしては後司が前司に対し解由状(事務引継の文書)を発給することとなっていた。しかし地方政治が弛緩し公廨稲設置により前司・後司間に紛争が頻発するようになり,解由状に代わり,不与解由状(解由状を与えられない理由を示した文書)の発給が増加してきたので,おもにこれを審査するために797年(延暦16)に設置された中央官庁。806年(大同1)に観察使の新設に伴い一時廃止されたが,824年(天長1)に再置され以後常置となった。のちには内官の解由にも関わる。857年(天応1)改正時の定員は長官1・次官2・判官3・主典3。長官の相当位は従四位下。勘解由使の書類審査を勘判と称するが,その内容は『政事要略』所引の勘解由使勘判抄から窺うことができる。受領の功過の判定にもかかわっているので,受領の活躍した平安末期まではその機能を果たしていたものと思われる。