●嘉慶帝 かけいてい
アジア 中華人民共和国 AD1760 清
1760〜1820(在位1796〜1820)中国,清朝第7代の皇帝。仁宗。名はギョウエン※注1※。乾隆帝の第15子。即位と同時に乾隆帝は太上皇となったが,1799年までは依然として訓政が行われていた。嘉慶帝は親政を開始するや,まず乾隆帝の寵臣ワシン※注2※を誅殺して朝政を引き締めようとしたが,旗人の弱体化・官吏の腐敗はしだいに進行しつつあった。さらに人口は乾隆期に2倍に増大し,大規模な国内移住・無産人口の堆積はさまざまな社会問題の背景をなしていた。1795年に湖南・貴州で苗族の反乱,1796年には5省にわたる白蓮教徒の反乱(郷勇によって鎖圧),1813年には紫禁城を脅かすにいたった天理教徒の反乱,東南海では艇盗(海賊)の乱と反乱が相次いだために軍事費は増大し,しばしば氾濫した黄河の治水費と合わせて財政を圧迫した。嘉慶帝の治世に清朝支配はようやく翳りをみせるが,文化の側面では“乾嘉の学”といわれるごとく考証学が全盛期を迎えていた時代でもあった。また質易条件改善のためにアマースト使節団が派遣された(1816)のも嘉慶帝の時代である。
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