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●学童疎開 がくどうそかい

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 太平洋戦争末期,戦局は悪化の一途をたどり,政府は都市部の学童たちを,近郊農村や軍事目標のない都市に集団で移動させた。すなわち1944年(昭和19)6月の閣議決定により,翌月から東京・大阪・名古屋など重要13都市の国民学校初等科3〜6年生の児童のうち,地方に縁故先のない者を学校単位で,集団疎開させることにした。翌1945年(昭和20)3月,いよいよ本格的な空襲が都市部に集中するに及び,1〜2年生の希望者も含めて,総数45万人にも達した。それまで親もとにあった都会っ子が,学校ぐるみで地方の旅館・寺院などに集団生活するという非常措置は,食糧を主にした極端な物資窮乏から,さまざまな波紋をひろげ,子供心に深い傷痕を残した例が多い。また疎開先で空襲の犠牲となった児童もいれば,卒業進学のため,1945年3月上旬に疎開先から東京・名古屋・大阪・神戸など諸都市に舞い戻った6年生たちの多くが,焼夷弾攻撃の犠牲となり,無念の死をとげたのである。

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