50音順    検 索

●学制 がくせい

アジア 日本 AD1872 明治時代

 1872年(明治5)公布されたわが国最初の近代的統一的学校制度に関する法的規定。アメリカ・フランスなどの学校制度を範として起草が進められた。1873年追加分を合わせ全213章,学区・学校・教員・生徒試業・海外留学生・学費・専門学校などについて定める。全国を8大学区に分け1大学区を32中学区に,1中学区を210小学区に分け,大学・中学・小学を対応する学区に設ける構想で,8大学・256中学・5万3,760小学設立をめざした。学制頒布に際し出された太政官布告(被仰出書)は,〈学問は身を立るの財本〉と立身治産のための実学を説き,身分性別に関係なく就学,〈邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん〉ことを期した。政府の強力な指導により小学校は大部分が小規模ながら1875年には2万4,000を越えるが,その就学強制,欧米風の教育内容,高い学費などへの不満抵抗も強く,政府も政策の修正を迫られ,1879年学制は廃止,教育令の発布を迎える。