50音順    検 索

●学習指導要領 がくしゅうしどうようりょう

アジア 日本 AD 

 学習指導要領は,小・中・高等学校における教育課程の編成や実施の国の基準として設けられているものである。わが国では,1947年(昭和22)にアメリカの“Course of StudY”を参考にして作成されたのが始まりである。当初は,1947年(昭和22)版も1951年(昭和26)版も,「試案」として示され,「教科課程をどんなふうに生かしていくかを教師自身が自分で研究して行く手びき」としての性格が強かった。ところが,1958年(昭和33)の改訂時,文部省告示として公示されるようになってから,学習指導要領の性格をめぐって,指導助言的なものか,法的拘束力を有するものかの議論が生じてきた。

【学習指導要領の基準性】学習指導要領は,もともと法的性質を有しているのである。それは,1947年(昭和22)の最初の学校教育法施行規則に〈小学校の教科課程,教科内容及びその取扱いについては学習指導要領の基準による〉と規定されていることからも明らかである。ただ,法的拘束力ということばが,法律用語であるにもかかわらず,自由を拘束し創意工夫を否定するという一般的印象で受けいれられたために,議論が複雑になった点はいなめない。昭和22年版と26年版が「試案」として示されたのは,戦後の教育改革の急に迫られて短日時のうちに作成されたという事情によるものといえる。昭和26年版にしても占領下にあり,司令部の許可のもとに行われたものであり,わが国の実情に即した教育という意図は十分に達成できなかった。しかも,小学校と中学校において学習指導要領の構成項目が異なっていたり,用語の不統一があったりするなど,ぼう大なページ数のこともあって形式上のことだけでも問題が多かったのである。したがって,手引き書内性格が強く,「試案」とならざるをえなかったといえる,では,「試案」のとれた学習指導要領は教師の創意工夫を拘束するものであろうか。「内容」をみても大綱的なものしか示されておらず,教師の指導の自由を拘束するものとはおよそほど遠い。この点に関しては,教育課程の基準としてはどの程度・範囲のものを定めたらよいかという問題があり,画一化と弾力化の調和という点から検討されてきたところである。学習指導要領が,この両面の要請にこたえるものでなければならないのはいうまでもない。現行の学習指導要領は,教育課程の大綱的な基準として,[1]全国的な教育水準の維持をはかり,教育の機会均等を確保するための統一性の要請にこたえ,同様に,[2]各学校における裁量の余地を十分に認めた弾力性をも兼ね備えたものとなっている。これは,日本国憲法,教育基本法,学校教有法に則ると同時に,それだけでは不十分なので,教科などの構成や内容,授業時間数などに関する基準を定めた省令などに従うこととなっているのである。法的拘束力とは,このような法的性質を有するということである。

【学習指導要領の変遷】学習指導要領は,戦後4回の改訂を行っているが,社会科の場合は,小・中学校が1955年(昭和30)に,高等学校がその翌年に改訂されているので,都合5回なされている。改訂にあたっては,そのときどきの教育的・社会的・時代的な諸要請(理念や課題)が,その背景として色濃く作用していることは否定できない。いまそのおもな特色だけを示すと次のようになろう。(以下昭和で示す)第l期(昭和20〜26)……新教育導入,第2期(昭和27〜33)……新教育反省,第3期(昭和34〜48)……科学技術,現代化,第4期(昭和49〜)……人間尊重,ゆとりと充実。各期の学習指導要領には,ここに示したような特色がみられるものの,学習指導要領の性格そのものは変っていないのである。ただ昭和33年版以降は,形式を現行のような体裁とし,教育課程の基準としてふさわしいものとした点は指摘できる。

〔参考文献〕奥田真丈『教育課程の研究』1982,第一法規