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●楽毅 がくき

アジア 中華人民共和国 AD 

 生没年不明。中国,戦国時代の名将。はじめ趙に仕えたが,武霊王の死後,燕の昭王のもとに赴き亜卿に任じられた。当時,戦国諸国のなかで西方の秦と東方の斉とが2大勢力として覇を競っており,燕は斉に圧迫されて苦しんでいた。楽毅は趙・楚・韓・魏・燕を同盟させ,その連合軍の指揮をとってついに斉を打ち破ることに成功した(前284,昭王28)。その功により昌国に封じられ,斉の地に留まること5年にして70余城を降し,ことごとくこれを燕の郡県とした。そのとき昭王が死んでその子恵帝が立ち,楽毅と不仲であった恵王は斉の離間策に乗せられて彼を召喚した。危険を感じた楽毅は西行して趙に赴いた。その後勢いを盛り返した斉を恐れた恵帝は楽毅を招こうとするが,楽毅は返書してこれを断った。その後楽毅は燕・趙両国の客卿となり趙の地で死んだ。三国志の英雄諸葛亮は若かりしころ,自らを管仲・楽毅に比していたという。