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●華僑 かきょう

アジア 中華人民共和国 AD 

 海外在留の中国系人(国籍を問わない)の総称。僑とは仮住まいを意味し,本来外国で財を蓄え錦を着て故郷へ帰る出稼ぎ者をいう。華僑を本来の語源に限定して使う人びとは在留国へ帰化した中国系人を「華人」,外国生まれの2世や3世を「僑生」または「華裔」(かえい)つまり華人の子孫と呼び,商人に限り「華商」と呼ぶ。全世界に分散する華僑総人口推定2,000万人〜2,500万人の80%以上が東南アジアに住み,インド人やユダヤ人と同様に商業活動の伝統をもつ。

【海外移住史】前2世紀末に漢はヴェトナム北部と朝鮮北部を植民地化し漢人を移住させたが,その楽浪郡在留者の子孫が日本へ渡り帰化人となった。7世紀後半に義浄がインド留学の途中スマトラのシュリーヴィジャヤに10年余滞在し南洋華僑の草分けとなった。15世紀前半にアラビア・アフリカへ遠征した明朝の鄭和遠征隊の旅行記によると,アジア各港市にはすでに中華街が存在しており,16〜17世紀に西欧人の帆船が出入りした当時,タイのアユタヤなどの貿易港には西欧商館と並んで南洋日本人町と中華街が栄えていた。満州族の清朝が中国を征服したときに漢人の難民は南洋各地へ移住し,清朝の海外渡航禁止令のもとに「棄民」として扱われ,故郷を捨て南洋の地に永住した。19世紀半ばのアヘン戦争後に清朝は開港し欧米諸国と通商したが,当時漢人のクーリー労働者は南洋やインド・アフリカ・アメリカ・オーストラリアへ流出し,奴隷に等しい苦難の途を歩んだ。しかし,刻苦勉励して行商人となり,商品流通の買弁(仲買人)となって故郷へ送金する華商も現れた。1910年代にはタイの華商富豪が東洋のユダヤ人として差別されたり,在米華僑の土地所有が制限されたりして,民族共存の途が険しくなった。1911年に成立した中華民国は「華僑は革命の母」と賞賛して愛国愛郷精神を華僑に求め,1930年代の満州事変と日中戦争でも華僑の抗日戦費募金運動を呼びかけ,1世華僑の愛国心の高まりを期待した。太平洋戦争中に日本軍占領地域となった東南アジアでは親日派と抗日派の華僑が対立し,その社会は分裂し経済はゆきづまった。

【戦後の華人社会】華商の戦災復興はめざましかったが,戦後の植民地が新興独立国となり,新しい国民形成に乗りだすと,華商独占資本を新興国の民族資本へ同化しようとする経済民族主義の矢面に華商が立たされた。1949年(民国38)中華人民共和国が成立すると,自由主義陣営に属していた華僑は仮住まいの伝統をすてて在留国へ帰化した。その2世や3世は生まれ育った社会へ同化し,独立新興国の国づくりの担い手となった。1950年代半ばに中国は華僑2重国籍を廃止して,華人の在留国への同化をすすめたが,1969年(民国58)のマレーシア反華僑暴動事件や1980年代初のインドネシア華商店焼きうち事件にみられるように,ブルジョワ資本家,非イスラーム教徒の中国系人に対する民族差別は根強く残っている。華人社会内部にも多様化傾向がみられ,昔ながらの行商人や露店商人,三把刀(三つの刀)といわれる刃物を扱う中華料理店・理髪店・仕立屋などの貧困層と銀行や会社を経営する富裕層との格差がめだち,また中華文明の伝統を保守する1世と独立新興国民の価値観をもつ2世や3世とのあいだの格差もみられる。1960年代から工業化を進めてきた東南アジア諸国連合(ASEAN)各国では華商資本を工業投資し,欧米や日本の進出企業と合弁会社を経営する華人資本家がふえてきた。近代化政策を掲げている中国は華人の愛国投資を呼びかけているが,2・3世華人は中国の同胞や親戚という感覚をもたず,企業進出の投資先として中国をみている。

 華僑問題はユダヤ入問題とともに消えさることがない。ヴェトナム華僑難民問題のように祖国喪失の民は自立自助の団結に頼るほかには生きる途がない。

〔参考文献〕戴国輝『華僑』1980,研文出版

遊仲勲『東南アジアの華僑』1970,アジア経済研究所

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