●柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ
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万葉中期の人,柿本朝臣人麻呂ともいう。柿本氏は由緒ある家柄(和邇氏を本宗とし,春日朝臣・小野朝臣らと同族)。ただし,宮廷歌人として天皇の側近に侍していたにもかかわらず,伝記の上で不明な点があり,かつ死没時の記録に疑問ありとして,数年来学者のあいだで論議が絶えない。672年(弘文天皇1)の壬申の乱に参戦したらしく(高市皇子への挽歌),功績によって天武・持統両朝に重く用いられた。皇太子草壁皇子を偲んで軽皇子の狩猟行に同行した際の長歌や吉野行幸に従駕(じゅうが)した際の作品など,長歌に名作が多い。長歌に付随する反歌や覊旅歌の短歌において,いわゆる万葉調の典型ともいえる作風を樹立した。その懐古的叙情の措辞・修辞は後世の歌人たちにとって模範となって現在にいたっている。長歌18首・短歌66首があり,また,人麻呂歌集として365首(長歌2首・旋頭歌35首・短歌328首)がある。若いころの習作を含めた愛誦歌集であったと思われる。
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