●嘉吉の土一揆 かきつのつちいっき
アジア 日本 AD1441 室町時代
1441年(嘉吉1)8月〜閏9月におこった徳政一揆。同年6月赤松満祐が将軍義教を誘殺し,領国播磨に遁走,7月幕府は山名持豊らに追討を命じた(嘉吉の乱)。8月末,近江坂本の馬借に不穏な動きがあり.9月に入って京都周辺の土民が「御徳政」と称して蜂起,東寺・丹波口・西八条・北野社などでも数千人が蜂起し,京都を囲んだ。ついで酒屋・土倉・寺院などを襲撃して,借用証文を破り,小金をもって質物をとり戻した。幕府は侍所の兵で警備したが,数万の土民のため押えきれなかった。土倉側は管領細川持之に1.000貫を出して特別にその保護を嘆願したが防戦できず,かえって賄賂を受けたと,ほかの守護大名の疑義を招いた。持之はこれを返却して警備を止める一幕もあった。この土一揆の主導層は村々の地侍層で,組織的に活動したが,結局,閨9月幕府は土一揆の強請のように,土民だけでなく公家・武家にも及ぶ一国平均の徳政令を出した。ここに幕威の失墜がみられ,以後.幕府が徳政令を頻発する契機となった。