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●画院 がいん

アジア 中華人民共和国 AD 

 元来は,中国宋代の翰林図画院の略称。以降,歴代王朝の宮廷作画機構の通称ともなった。翰林図画院は,唐の開元年間に創設された翰林院から北宋の雍煕1年(984)独立した,宮廷に所属した画家のアトリエ。画院画家には待詔・芸学・祗侯・学生の別があった。彼らの任務は必ずしも鑑賞画の製作とは限らず,寺観の壁画・実用画・地図の類にまで及んだが,ことに徽宗による直接の指導を受けてよりは,在野の絵画様式とは異なった高い芸術的達成をなしとげ,とくに“院体”(つまり画院の様式)と呼ばれるにいたった。明代には武英殿・仁智殿の待詔・直殿,錦衣衛の指揮,千戸・百戸などの名で再び宮廷画家が活躍した。明前期の画院は浙派のよりどころとなり,数々の名品をうみ出したが,後期の画檀は新興の呉派にとってかわられ,明末には画院にも呉派が進出した。清朝の画院もこの傾向を引き継いだが,西洋画法を導入したほかは,成果をあげえないまま終わった。

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