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●海保青陵 かいほせいりょう

アジア 日本 AD1755 江戸時代

 1755〜1817(宝暦5〜文化14)儒者・経済学者。名は皐鶴,字は万和,通称は儀平,青陵と号す。宮津藩青山氏の家老の子として,江戸に生まれたが,生涯の大半を在野の儒者として過ごす。晩年は京都に送り63歳で没する。墓は京都黒谷西雲院にある。少年期に荻生徂徠の弟子に学び,蘭学者桂川甫周とも交流をもち,30〜52歳のあいだ江戸・京都を中心に各地を遊歴し見聞をひろめた。これらを思想形成基盤とし,現実を直視した貨幣経済による産業政策振興を唱え,収入増加策を重視した合理的・実学的な積極的経済論を『稽古談』など多数の著述に展開し,近代日本への先駆的思想家・経済学者として注目される。加賀藩の財政改革に触れるところが多く,天保期長州藩村田清風産業政策にも影響がうかがわれる。また,商人の商業活動を擁護する著述も多い。

〔参考文献〕塚谷晃弘・藏並省自『本多利明・海保青陵』日本思想大系44,1970,岩波書店