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●海防論 かいぼうろん

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 江戸後期,外国船の接近・来航に対しておこった海防整備・国土防衛の論議。1756年(宝暦6)ロシア人が蝦夷地の厚岸(あっけし)に来て通商を求め,さらに1771年(明和8)に“はんべんごろう”(ベニョーフスキー)の書簡がロシア人の南下を公然と伝えて以来,北方への関心が高まった。工藤平助は『赤蝦夷風説考』を著してロシア人の南下に対して北辺開発の緊急性を説いて幕府に献策した。ときの老中田沼意次はこの策を入れて蝦夷地調査隊を派遣し,開発計画を立案した。また林子平は『三国通覧図説』『海国兵談』を公刊し,〈細かに思へば,江戸の日本橋より唐・阿蘭陀迄境なしの水路也〉と,海防の必要を説いた。これに対し老中松平定信は〈浅はかに政治を口にして人心を乱す者〉として子平を処罰したが,一方で大規模な江戸湾防備計画をたてた。その後本多利明佐藤信淵佐久間象山らに継承され,幕末の尊王攘夷論・佐幕開国論に発展した。