●海北友松 かいほうゆうしょう
アジア 日本 AD1533 室町時代
1533〜1615(天文2〜慶長20)桃山時代の画家。名は紹益といい字は友松。近江国坂田郡居住の武士海北綱親の5男(一説3男)として生まれる。友松は幼少のころ,京都の東福寺に入ったが,画が巧みで,狩野元信に学んだと伝える。1573年,織田信長が浅井長政を亡ぼしたとき,長政に仕えた父や兄が戦死した。友松は還俗して武芸を磨き,海北家の再興をはかったが成功せず,桃山時代を代表する画家となった。建仁寺本坊大方丈の襖絵は,1599年の作で,『竹林七賢図』は宋の梁楷に学んだ減筆法で描き,『山水図』は宋の玉澗に学んで墨の濃淡を対比させながら大きな空白のなかに山水を見え隠れさせている。点景の家屋の線は,武人画家にふさわしく気迫に満ちている。金地着色の絵には,妙心寺蔵『花卉図屏風』などがある。友松は晩年,ネルソン=アトキンズ美術館蔵『月下溪流図』に見るような軽妙洒脱な作風に達した。子の友雪とその系統を海北派という。
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