●開放耕地制度 かいほうこうちせいど
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中世ヨーロッパの農地は,各耕圃を縁どる農道のほかには,各農民の保有地を区分する垣や柵などの標識はなく,開放耕地と呼ばれていた。村落の耕地は3耕圃(大耕区)−−場合によっては6や9−−に区分され,耕圃は耕区に分かれ,各農民の保有地は,混在地制度と呼ばれて,細長い紐状地が各耕圃の各耕区に分散していた。このような開放耕地制度のもとでは,通常三圃農業が営まれた。これは,各耕圃ごとに輪番制を設けて2年間穀物(夏穀・冬穀)を栽培した後,地力の回復のために1年間休閑するもので,耕作強制が行われて,収穫後の耕地は共同放牧に利用された。さや豆類は夏穀と交替または混作の形で栽培されたが,麻・亜麻・キャベツなどは別の小耕地で栽培された。耕地の周辺には採草地や森林があり,共有地として持分に応じて農民の共同利用が行われた。三圃農業は農業上の制約が大きいばかりでなく,農民の平等性の維持には適したものであったが,農業生産の能率化には不適であった。やがて18世紀以後馬鈴署・クローバなど新しい農作物の導入によって休閑地がしだいに消滅し,荘園制や古い耕地制度の崩壊によって農業革命がおこり,農業の近代化が行われた。輪栽式農業に移行したところも多い。