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●貝原益軒 かいばらえきけん

アジア 日本 AD1630 江戸時代

 1630〜1714 本名は篤信,字は子誠。通称は,はじめ助三郎,のち久兵衛。号は,はじめ損軒,のち益軒。医者としての号は柔斎。江戸時代初期の儒学者。筑前国那珂郡福岡(現,福岡県福岡市)で福岡城中の東邸に生まれる。父は利貞(号は寛斎),黒田家中で150石。母は,ちく(三毛門氏)。男子五人中の末子。妻は東軒(江崎氏)。益軒は黒田忠之・光之・綱政の三代に仕え300石にいたる。はじめ仲兄存斎に素読を受け,父から漢方医学を学ぶ。1657年から7年間,京都に留学し,松永尺五・山崎闇斎・木下順庵らの講義を聞く。陸象山・王陽明をも合わせて学んでいたがしだいに純然たる朱子学を志向するようになる。伊藤仁斎の影響を受けて,晩年,朱子の理気二元論を否定し理気一元論を唱える。医学と儒学の学際的問題として,肉体的な心臓と精神的な心との相関関係を究明した。啓蒙的教育家,本草学者,民俗学の先駆者としても著名である。主著には『愼思録』『大疑録』『五常訓』『大和本草』『日本歳時記』『筑前国続風土記』『黒田家譜』などがある。

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