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●懐徳堂 かいとくどう

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 江戸中後期大坂実学の拠点をなした学問所。1724年(享保9)尼崎町1丁目の富永芳春の隠居屋敷跡に富永ら豪商5人が商いの哲学を学ぶために出資創立,年行司をおき運営。“懐徳”は『論語』里仁篇にとり,将軍吉宗の意にかない1726年官許学問所となった。初代学主三宅石庵(1665〜1730,寛文5〜享保15)は一学派にかたよらない立場を堅持した。〈忠孝を尽し職業を勤むる〉(壁書)と自由聴講を認める学風の育成を目標とし,誠の講説につとめた。医学にも造詣が深かった。2代中井甃庵孝弟忠信を説き商利を肯定。堂学の確立は五井蘭洲により果たされた。徂徠説を徹底的に批判し“真知・実見”という窮理の法則性を主張,4代中井竹山やその弟中井履軒に強い影響を与えた。竹山らは洋学の合理性を容認し麻田剛立三浦梅園らと交流したが,堂風の集中的な成果は山片蟠桃の『夢之代』12巻に結実開花した。堅実な学風は維持されたが,支持層や時流の変化に1869年(明治2)閉学。

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