●貝塚 かいづか
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おもに縄文時代の人々が食用後の貝殻類や残滓を放棄して成った遺跡。弥生・古墳時代の例は少ない。海産貝類がおもな純鹹貝塚・主鹹貝塚,内陸河川沼池の淡水産のものは主淡貝塚と呼ぶ。海産類でもアサリ・ハマグリは入江の砂泥底,マガキ・ハイガイは河口から淡水が流入する入江の泥底,巻貝は岩礁地帯と,遺存した貝により当時の海岸線の環境も推察できる。各種の貝の採取時期と縄文時代の人々の労働カレンダーの構成もまた可能。海進の繰り返しで入江の多かった奥東京湾一帯に大規模な貝塚が多く,三陸・東海地方が次いでいる。貝層中には土器・石器・骨角器・自然遺物などの混入が多く,貝層下には炉跡・住居跡・地壙墓・貯蔵穴などが確認され,埋葬人骨の発見も珍しいことではない。貝塚は単なる台所から出たゴミの棄て場ではなく,食料資源の残滓をまとめ,生ありしものの霊をまつり,再生と豊饒とを祈った祭祀の場であったと考えられる。縄文時代の人間と自然を知るタイムカプセルといえよう。
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