●会昌の廃仏 かいしょうのはいぶつ
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842年(会昌2)から4年間に行われた唐の武宗の廃仏。唐の武宗は仏教を好まず,道教を崇奉して宮中に道場を建てた。このとき召された道士の一人が趙帰真で,武宗は彼からホウロク※注1※を受けた。趙帰真はたびたび仏教を廃毀することを奏上した。時の宰相李徳裕は,趙帰真を退けることを勧めたが不興をかっただけであった。趙帰真は僧智玄を論破できず,帝に勧めて廃仏に成功するにいたった。これが会昌の廃仏である。唐は中期以降,税役を免除された僧尼と寺院の土地が増大して財政の窮乏を招いていた。武宗は自らの道教信仰もあり,宰相李徳裕の勧めもあり,天下の寺院の財産を没収し僧尼を還俗させて,税収入の増加をはかった。846年(会昌6)になって武帝が没して宣宗にかわると仏教は復興され,趙帰真は斬られたが,旧仏教の衰えはおおうべくもなく,仏教の復興は,新しい禅宗などの興起をまたねばならなかった。
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