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●改宗(イスラーム) かいしゅう

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 改宗とは,従来信仰していた宗旨から,他の宗旨へ改めることである。イスラームにおける改宗の問題は,他の宗旨からイスラームへ改宗することが中心である。

【ムハンマドの布教】イスラーム最初の布教者はムハンマドである。コーランはイスラームを布教する原則として[1]強制しないこと(10章99節),[2]叡智と優れた説教によること(16章125節)をあげている。ムハンマドはこの方法で,妻のハディージャや従弟のアリーら近親者をまず改宗させた。ヒジュラ後,ムハンマドの安全を守るため,叔父のハンザが改宗したが,メディナではムハンマドの政治的手腕に期待して,住民の多くがイスラームに改宗した。彼らはアンサールと呼ばれ,ここにイスラームの教団国家ウンマが成立する。

【王朝支配と改宗】アラブ帝国ウマイヤ朝は,アラブの特権を保持するため,異民族のイスラームヘの改宗には消極的であった。しかし,ウマル2世がアラブ=ムスリムと改宗者マワーリーを平等に扱う政策をとると,集団的に改宗するものが現れた。また,イスラーム帝国アッバース朝の時代には,改宗者は増大した。さらに,トルコ人軍団が地方権力を握って支配を行うと,中央アジアの住民も改宗した。西アジアや中央アジアでは,イスラームの征服に伴ってムスリム権力が成立し,住民がイスラームに改宗する傾向がみられた。この場合にも,イスラームヘの改宗は強制されなかった。

【改宗の形態】アッバース朝の権威が弱体化したのちも,イスラームはアフリカ・インド・東南アジア・中国などにひろがっていった。この場合,イスラームの布教と改宗は,ほとんど平和的に行われた。そこには,布教・改宗の六つの形態が認められる。

 [1]ムスリム商人型 東西貿易に従事したムスリム商人は,各港市の実情・言語・風俗・習慣などを熟知しており,自然な形でイスラームを浸透させ,住民を改宗させていった。たとえば,東南アジアの港市では,交易の利益を目的とする王や領主層が,彼らをシャバンダール(港長)などに採用し,まず改宗した。そして,住民もやがて改宗していく。

 [2]教団型 主としてイスラーム神秘主義教団,すなわちタリーカによる布教・改宗である。とくにタリーカに属するスーフィーやムスリム商人が,教団組織のネットワークを利用して住民を改宗させる。そのほか,ウラマーや宗教改革運動に伴う布教・改宗も含まれる。

 [3]婚姻型 ムスリム商人や旅行者らの現地妻の改宗,彼女らの熱心な布教により,その家族や親族が改宗したり,住民が改宗するもの。アフリカの非ムスリム季節労働者がムスリム女性と一時的に結婚(ムトア婚)し,改宗した場合もこれにあたる。

 [4]王侯・貴族型 ウラマーやスーフィーにより王侯・貴族が改宗し,これに伴って住民が改宗するもの。

 [5]ハッジュ型 メッカ巡礼後,純粋なイスラーム信仰を説く巡礼者らにより,熱心な宗教運動が行われて,改宗するもの。彼らによるイスラーム純化運動や帰属運動も,再イスラーム化としてこれにふくまれる。

 [6]奴隷解放型 イスラームの教えにより,所有する奴隷を解放したり,その身分を改善し,彼らを改宗させるもの。

 以上の6形態が結びつき,相互に補完しながら,実際には改宗が行われた。改宗の儀式は簡単で,二人以上の証人,一般には,イマームの前でアラビア語により信仰の告白を行う。また,このとき,イマームから六信五行の内容の説明があり,改宗の証しとしてイスラーム名をうける。

背教】ムスリムは,経典の民以外の非イスラーム教徒との結婚が禁止されている(コーラン2章220・221節)。非イスラーム教徒は改宗しなければ,ムスリムと結婚することができない。また,ムスリムがその信仰をすて,ほかの宗教に改宗することは最大の罰で,ムルタッド(背教者)とされ,遺産相続の権利などを失う。

〔参考文献〕中村廣治郎『イスラーム思想と歴史』1977,東京大学出版会