●会子 かいし
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南宋時代におもに江南で用いられた紙幣,東南会子ともいう。手形をさす場合も多い。子とは接尾語。会とは「突きあわす」証拠文書とする説と,銭物を「あつめ,積みたてる」とする解釈と2通りある。初め北宋の首都開封の金融業者が手形を発行し,会子と呼ばれ,南宋初期の杭州(行在)でも行われていた。1160年(紹興30),行在会子務が設けられ,発行権を政府がにぎり,1貫・2貫・3貫の単位兌換券(法定通貨)を発行し,のちに500文・300文・200文を増印した。1流通期間(界)は3年,3年ごとに新旧会子を交換し,交換・兌換の手数料は1貫ごとに10文,発行額は1,000万貫と定め,南宋治下で広く流通した。孝宗時代は帝室内帑金を回収資金にあて,信用力は高かった。南宋末期には財政逼迫とともに濫発され,1240年(嘉煕4)には総額6億5,000万貫にも達し,1貫会子が銅銭50文の価値しかなく,経済混乱の象徴となった。なおこのほかに湖北会子,両淮会子など使用地域制限会子も発行された。