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●蓋呉の乱 かいごのらん

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 中国,南北朝時代に華北で,北魏の太武帝に対して蓋呉(418〜446)がおこした反乱(445〜446)である。蓋呉は安定(甘粛省東部)に住む匈奴系の盧水胡であったが,居住地の杏城(陝西省黄陵県)で反乱をおこした。「魏を滅ぼすは呉なり」との図讖(予言書の一種)を利用して,北魏の政治(とくに徙民政策)に反感をもつ漢人や北方の少数民族をさそい,さらに蜀から河東(山西省南西部)に移住した豪族の薛永宗とも連合して部衆十数万という大反乱をおこしたのである。しかし翌446年に太武帝が薛永宗を平定して長安に親征すると,蓋呉もまた南朝の宋に救援を求めるにいたっている。蓋呉は8月に長安鎮将陸候の計によってその叔父に斬られて乱は終わるが,この間に長安の仏寺から武器が発見され,しかも婦女子と僧侶の淫交が判明するに及んで,有名な廃仏の実施を招くにいたった。もともと道教を信奉していた太武帝に,廃仏を決意実行せしめた反乱としても有名である。