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●蚕神 かいこがみ

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 養蚕の守り神。主として東北・関東地方の家々で広く信仰されている一種の民間信仰の神である。蚕影(こかげ)明神・蚕玉様・蚕養神・馬鳴菩薩・観音・弁天・薬師など,各地においてさまざまな神仏が信仰されているが,ことに稲荷・駒形明神は根強い人気をもっている。元来,養蚕農家の信仰の対象としての蚕神は,さかのぼれば長野県下伊那郡あたりの養蚕農家の主婦が繭を売る際に「蚕霊様,来年もどうぞ来ておくんなんしよ」などと唱えていたことからも明らかなように,養蚕の普及とともに,やがて在来の農神的神にかわって家の神としての性格を帯びていくことになった。養蚕農家の主婦たちのあいだには,蚕神への信仰(オシラ信仰)によって結ばれた講,すなわちオシラ講が大きな位置を占めていた。養蚕に伴う祭りは,このほかにも,養蚕終了を祝う蚕霊あげ・初午の蚕種祝い・蚕日待ちなどが知られているが,その伝播は,主にシャーマンのイタコ・アヅサ・オガミン・ワカ,ミゴなどによって行われていたという。ところで蚕神の名称にはさまざまなものがある。最も代表的なものが「オシラサマ」で,東北地方,とくに青森・岩手・秋田の3県を中心に,関東の西部にも分布し,岩手県・宮城県の一部では「オシラ仏」とも呼ばれている。なお山梨・関東地方のオシラサマは馬鳴菩薩風の絵像であることが特徴となっている。また福島県では「オシンメサマ」と呼ばれ,その南限はほぼ関東とされている。また山形県と岩手県の一部では「オコナイサマ」と呼ばれている。このように地方差がみられるが,いずれにしても,それが家の神であることには違いがない。オシラサマを,桑木地蔵・不動様・弘法神・十六善神などと称して神格化するようになったのは,明らかに仏教の影響と考えられ,もともとは家屋敷・一族の息災と繁盛を念じる守護神であったのである。ご利益として,蚕神となって蚕の成育を保護することはいうまでもなく,そのほかにも禍厄疫病を除き,火事・盗難などの災難を警告し,農作・漁労の豊産・大漁を約束するといったことがあげられる。祭祀集団の形態は多様をきわめ,[1]おのおのの家が独自に祀るもの,[2]親類縁者で祭祀集団を形づくるもの,[3]部落・区単位で地縁的に奉祀するもの,[4]同族・地縁がからみ含って複数の祭祀集団を構成するもの,[5]講のような同一信者が集まって奉祀するもの,など枚挙にいとまがない。では次に,オシラサマの具体的な祭祀の模様をみていく。

【オシラサマ】多くは村の旧家に伝えられ,神体は二体一組,一尺内外の木の棒である。棒の材料には,桑の木が多く用いられるが,宮城県には竹のところもある。棒の先端に,男女・馬・鶏などの顔を彫刻または墨描きしたもの二体に,「オセンタク」と称する布片を幾重にも着せて,人形のかたちに擬したのち,神棚の祠に納めておく。祭のたびに布を重ねていくので,なかには100枚以上着せたのもあるという。春秋2回の祭日に神おろしをし,神饌を供えて供養する。司祭は,祭日に限って行われ,イタコと呼ぶ盲目の巫女が頼まれて回ってくる。イタコは神おろしをしたのち,オシラ祭文を唱えながら,一対の木片の神体を両手で前後左右上下に打ち振る。これを「オシラサマアソバセ」という。祭文には,「せんだん栗毛」「金万長者」「まんのう長者」「オシラの本地」などがあり,長者にまつわる物語,およびその姫と名馬との恋愛物語,すなわち一種の異類婚説話が語られる。祭日は3月,9月(あるいは1月,12月)の各16日というのが一般的であるが,場所によってはイタコが自らオシラサマをもっていて,社寺の縁日などがあると,人々を集めてそれを祭ったりすることもある。この集合祭祀は,華麗をきわめるもので,近代にいたって行われるようになったという。

〔参考文献〕村島渚『蚕神考』1931 日本常民文化研究所編『おしらさま図録』1943

柳田国男「大白神考」『定本柳田國男』12,筑摩書房