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●開元寺 かいげんじ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国唐の玄宗が738年(開元26)詔して天下の各州郡に寺観各一カ所を建てさせ,年号を寺号とし,さらに744年(天宝3)になると金銅の天尊および仏像各一体を鋳造しこれを開元寺・開元観に安置させた。開元寺を建立した意図は,則天武后の大雲(経)寺建立(690)・中宗の中興寺観建立(705)と等しく,宗教興隆のためのみではなく,宗教を国家に隷属させようとするものであった。玄宗朝の新国分寺ともいえる開元寺は,新たに造寺されるものもあったが,より多くは既存の寺院を改称したものである。開元寺の設置により国家的儀礼は二分され,千秋節(天子誕節)及び三元の祝寿的儀礼は開元寺で行われ,国忌法要は龍興寺(中興寺)で行われることになった。幾多の高僧が各地の開元寺にあって活躍した。たとえば荊渓湛然は呉郡開元寺で止観を行じ,荷沢神会は荊州開元寺の般若院に住し,馬祖道一は洪州開元寺に住し,不空は武威開元寺に住した。