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●垓下の戦い がいかのたたかい

アジア 中華人民共和国 BC202 

 現在の安徽省霊璧県の東南,前202年(高祖5)に漢の劉邦が楚の項羽を破り中国支配を決した戦い。秦の始皇帝が崩ずるや陳勝呉広の反乱につづいて,項羽・劉邦らが並びたち,前206年(高祖1),項羽は秦を滅ぼし自立して西楚の覇王と称し,劉邦らを王に封じたが,劉邦は斉の韓信・梁の布・淮南の彭越らと語らい,また部将の陳平張良の説に従って項羽の天下2分の計にそむいて項羽を垓下に囲んだ。兵は少なく食も尽きていた項羽は夜半に幾重にも囲む漢軍のなかから四面に故郷の楚歌を聞き,すでに進退窮まったことを慷慨して自ら有名な核下の歌をつくった。項羽は八百騎を率いて囲みを破り南に逃げたが烏江にいたって力尽きて自刎(じふん)して死に,ついに劉邦は宿敵を破って天下平定にむかった。この戦いは上記の政治的な面のみならず,垓下の歌のゆえに京劇にも演じられて中国人にも広く知られている,文化史上も著名な戦いとなった。

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