●何晏 かあん
アジア 中華人民共和国 AD193 後漢
193?〜249中国,三国魏の官僚・学者。字は平叔,南陽宛(河南省南陽)の人。母の尹氏が曹操の側室となったので宮中で成長し,曹操にかわいがられ,操の娘をめとった。風流人で,つねに白粉(おしろい)を塗り,自分の影を気にして歩き,麻薬の一種である五石散を服用したと伝えられる。幼少から秀才の聞こえがあったが,文帝に憎まれ,明帝には浮華の士として退けられた。明帝の死後,大将軍曹爽(そうそう)の腹心となり.司馬懿(しばい)の排斥に関与。吏部尚書の要職につき知人を多く登用した。が,249年,司馬懿のクーデターによって曹爽一族とともに誅殺された。王弼(おうひつ)とともに,訓詁学中心の漢代儒学に対して老荘思想をとりいれた新解釈をとなえ,魏晋の玄学(老荘学)の基礎を築き,清談の風をひらいた。『論語』『易経』『老子』を研究し,儒学の“道”を無によって,“聖人”を無為の体得者として解釈しようとした。『老子注』を書いたが,王弼の注をみて敬服して書きかえ,『老子道徳論』2巻(「列子」張湛注に逸文が現存)を著した。『論語集解(しっかい)』10巻(現存最古の『論語』の注釈書)の主編者。