●音楽人類学 おんがくじんるいがく
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諸民族の音楽を社会的文化的脈絡において機能するものとして研究する立場。音楽人類学という呼称そのものは古いものではない。欧米において,アジア・アフリカなどの諸民族の音楽を研究対象とする学問が民族音楽学と呼ばれだしたのは1950年代になってからであり,それ以前は比較音楽学と呼ばれていた。そして名称の変化にもかかわらず,この学問にとっては,欧米から見た異文化の音楽ないし欧米の民族音楽の採譜と様式研究が中心であると理解されていた。民族音楽学のこのような傾向に対して,メリアム,A.は1964年“The anthropoloGY of music”(邦訳『音楽人類学』音楽之友社)において,音楽を人間生活全体のなかの一つの営みとして位置づけ,研究することを提唱したのである。彼が人類学という用語をもちだしてきた理由は,まずフィールドワーク(野外調査)の重視からである。研究者が特定文化内に長く滞在し,そこの生活になじみつつ観察を重ねるという研究方法は,その文化社会の音楽についての考え方,音楽的行動のパターンの特質を理解するために必須である。もう一つの理由は,音楽が人間の文化としての営みの一部である以上,異文化の音楽の研究は文化人類学の一分野として位置づけられる必要があるという主張である。この2点を根底におき,彼は研究を進める上での指針を提示している。その第1は,当該文化での音楽の概念を明らかにすることである。つまり,文化の成員が何をもって音楽または非音楽とみなすか,その境界を理解する必要性を説いている。第2に,音楽行動を観察するために研究者があらかじめもっておかなくてはならない枠組みとして,身体行動・言語行動・社会行動・学習行動の四つを設定して,観察を有効に推し進めるためのよりどころを提示した。1970年代には,メリアムの理論を踏まえて,フィールドワークにもとづく研究が数多く生まれた。なかでも,ジョン=ブラッキングは1973年,“How musical is man?”(邦訳『人間の音楽性』岩波書店)において,アフリカのヴェンダ族の音楽調査をもとに,音楽の人類学的研究に進展をあたえた。彼は,音楽の鳴り響く音そのものを分析するのではなく,人間が音を組織化する過程,つまり,音楽をつくる際にどのような要因が作用しているかということに分析の光をあて,その過程にはあらゆる社会的文化的要因がはたらいていることを明らかにした。彼の分析のめざすところは,人間の能力がどのように音楽を生み出し,逆に,音楽的能力がどのように社会を組織化し人間の生活を形成するか,ということの理論化である。1970年代を代表するこの研究を方法論的に支えているのは,イーミック(emic)/エティック(etic)という対比的方法論の設定である。前者は特定の文化に固有のものの見方・体系をいい,後者は普遍的に通用する客観的な観察方法をいう。音楽人類学の研究は,まさに,文化における音楽のイーミックな構造を記述することを目標とするようになったのである。しかし,1980年代になると,これらの方法論的前提がはたして有効かどうか問い直そうとする動きがでてきた。なぜなら,エティックな分析をきわめようとすれば音響記述装置に頼るしかなくなってしまう。しかしその装置のつくりにもすでに文化的な偏向が入りこんでいることは否定できない。また,イーミックな分析を試みても,その報告を当該文化以外の言語で行うならば純粋にイーミックな報告とはならないのである。最近の人類学的アプローチは,上の点を踏まえて新しい展開をみせている。異文化の音楽研究にあたって,まず研究者側の文化的・論理的な偏向を最初にはっきりと意識し,明示し,研究者のフィールド体験によって得られた情報の総体を,特定の方法論・手続きを適用して解釈し,民族誌としてまとめていくやり方が新たに台頭してきている。音楽の人類学におけるこの新しい理論は,フェルド.Sの“Sound and Sentiment”(1982)や日本人研究者たちによってまとめられており,民族音楽学全体のなかでも脚光を浴びている。