●音楽 おんがく
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音響現象のもつ諸特質,たとえば高さ(周波数であらわされるピッチ)・長さ・強さ・音色などを秩序だてながら使い分けて,文化的に意味のある時空間を形成する人間の芸術的活動の所産としての音楽は,時代や民族の違いに応じて微妙に,あるいは大きく異なる実態をみせてきた。身体や物体を発音物として利用して構築される音響世界は,単に聴覚に訴えるだけにとどまらず,視覚的に把握できる身体運動(楽器操作・舞踊)や触覚・味覚・嗅覚の刺激(セッティング・飲食物・香)に支えられながら,それぞれの状況に応じて社会的機能を果たすのである。そして音楽は,時代の変遷とともに伝承ないし変形されたり,地域をこえて伝播し変容されたりして,人類文化の縦と横のひろがりのなかで重要な役割を演じてきた。【音楽の概念と関連領域】音楽という用語は,現代では東アジア地域で,ヨーロッパ諸語のmusic,Musikなどの一連の用語に対応するものとして使われている。この語の文献上の初出は,中国では秦代の成立とされる『呂氏春秋』(前3世紀),日本では『続日本紀』(797)であり,それ以後も文献に散見はするが,いずれも今日の意味内容とは一致せず,特定の種目や楽曲をさしていたと考えられている。
“音楽”に相当する中国古来の用語は“楽”であるとされ,これは物に感じて動く“声”,それが変化して形を表す“音”,その音を重ねて楽しむという意味での“楽”という論法の一つの側面をなしている。象形文字としての“楽”は,“木”の上に“糸”を張り,“白(つめ)”でかき鳴らすという意味をもつとする説がある。一方では,“木”の台の上に“幺(騎鼓)”が2個おいてあって,それを“白(うつ)”と解釈する見方もある。いずれにせよ楽器を奏することが原義である。この語は,中国や中国文化が導入された朝鮮半島・日本・ヴェトナムでも雅楽を中心とした上流階級の音楽をさす含みをもっていた。“楽”の訓読みとしては,“あそび・あそぶ”が本来妥当であり,この大和ことばは,日常生活からやや離れた特殊な状況,たとえば狩猟や歌舞の場につながるものである。ちなみに,今日でも奄美・沖縄では音楽の場を意味することばとして,“あそび・うたあそび”といった表現が使われている。日本語では,ほかにも“もののね”“うた”“音曲”などの総称語があるが,含蓄範囲と多義性においてそれぞれ差があり,明治以後“音楽”が一般的となる。
インドでは古来サンスクリット語のサンギータ(sanGita)が総称語として使われてきたが,これは実際には,ギータ(Gita 歌)・バーデャ(vadYa 楽器)・ヌルッタ(nrtta 舞踊)を包含する用語である。ヨーロッパでは,ミュージック系の用語は後世になって導入されたものであり,それぞれの言語の本来のものとしては、“歌”ないし“旋律”を意味する用語だけであったと考えられる。たとえばイギリスのソング(sonG)・チューン(tune),フランスのシャンソン(chanson)・メロディー(melodie),ドイツのゲザング(GesanG)・リート(Lied)である。ほかの民族の状況も似ていて,ペルシア語のアーバーズ(avaz),マレー語のラグ(laGu),ハワイ語のメレ(mele),日本語の“うた”など,いずれも声による音楽表現と同時に文芸としての詩歌そのものをも含んでいる。
器楽が世界的に展開し,文化交流がすすむにつれて“ミュージック”ないしその訳語,たとえばアラビア語のムーシーカー(musiGa)や「音楽」などが普及していった。その根源にあるのはギリシア語のムーシケー(mousike)とラテン語のムシカ(musica)とである。ムーシケーは,ギリシア神話の主神ゼウスが記憶の女神ムネーモシネに生ませた9人の女神ムーサイと関連しており,9人はそれぞれ叙事詩・抒情詩・悲劇・喜劇・音楽・舞踊・歴史・天文などをつかさどっていた。すなわちムーシケーは,ことば・運動・時間にかかわる技芸としての言語・詩歌・音楽・舞踊・演劇などを包含する広い概念である。ここに暗示されている理論的性格は,ヨーロッパ中世のムシカにおいて明確になる。すなわち,自然・宇宙を支配する数とその比例原理を説くハルモニア論においては,ムシカ=インストルメンターリスまたはムシカ=ソノーラ(声や楽器による現実の音楽),ムシカ=ムンダーナ(宇宙の音楽),ムシカ=フマーナ(人間の魂の音楽)の三種類が区別され,この論を基礎にして教育機関としてのスコラにおいて修辞学・算術などと並んで音楽が自由七科のなかに含まれていた。
このように,音楽にまつわる諸民族の用語法の変遷は,音楽がほかの諸芸術ばかりか人間の知的活動としての学問とも深くかかわっていることを示している。現に,音楽はさまざまな周辺領域と関係を保ちながら,社会的文化的脈絡のなかで存在を主張している。
音楽をとりまく関連領域のなかでも,最も相互に影響を及ぼしてきたのは言語であろう。そのゆえんは,発音を土台とする音声言語ないし発話そのものが,音楽と同様に聞き手を想定する伝達形態であるところにある。また,音楽の根源的な形である歌が,ことばそれ自体を歌詞として含みもつという交差関係も重要である。さらに,音楽概念の本質的な部分が音楽用語として言語化されたり,逆に言語のある側面が変形されて音楽化されたりする依存関係もある。こうした関係が生じうるのは,音を駆使するときに,単位に分節する方法と韻律的に連結する方法がとられることに起因している。結果として,日常の発話や様式化された詩歌いずれにおいても音調やリズムといった音楽的性格が言語運用につきまとうし,音楽においても,言語が果たすのと類似した意味作用が付加されうるのである。具体的には,会話におけるテンポ・間合い・強調・相づちなどはすべて音楽的技巧に直結するし,西アフリカのトーキンク=ドラム,教会の鐘や仏教の音具のパターン化した発音などは,一定の雰囲気をつくりあげるだけでなく,特定の伝達内容をもっているのである。
音楽に関連する第2の周辺領域は,身体運動である。発音行為それ自体が,声帯・楽器いずれを利用するにしても身体操作を必要とするし,手拍子・足踏み・指揮者の手示法なども音楽の視覚的・触覚的側面を端的に表している。まして,舞踊ともなると,身体運動は軌跡やリズムにより音楽的性格を一層強くおびてくる。さらに演劇や宗教儀礼においても,身体運動が音楽と不可分の関係をもっている。
音楽演奏の場の問題も音響そのものに直結する関連性を秘めている。一定の様式にもとづく建築空間(石造の教会,四畳半,近代的なホール)や,ある程度しか選択加工の手を施していない自然空間で,それぞれの特有の雰囲気と音響効果により,それぞれの音楽の目的が達成される。演奏者や聴き手ですら,正装・化粧あるいはその欠如といった手段によって演奏空間の様式的統一に貢献するといえよう。
【音楽の構造と形式】音楽が関連領域に支えられながら一定の時空間を形成することができるのは,各民族がもつ音に対する感性に対応した形で構造と秩序があたえられ,ひいては形式感や様式美が確立しているからにほかならない。時代様式や民族様式が築かれるときの音楽的な契機としては,音楽の諸特性のうちから特定のものを選択して,その変化を土台にするという集団による意思作用がはたらいている。たとえば,通俗的に“クラシック”音楽と称されている西洋近代の芸術音楽においては,音高の絶対句に厳密な区別が最も重要視され,その結果として,24の調性が整然と体系づけられている。そして,調性理論を裏づけるための旋律(メロディー)と和声(ハーモニー)の進行の原則がかなり厳密に定められている。さらに,このようにして秩序づけられた音高群を,その水平的連続という観点から配列するモノフォニー(単旋律)およびポリフォニー(多声音楽)の様式が確立するし,垂直的関連づけという観点からホモフォニーという和声音楽が生み出される。近代ヨーロッパのこのようなテクスチュア(音楽構成原理)に対して,アジアの場合にはモノフォニーは共通の事象として観察されるが,それ以外に重要なテクスチュアとして,ヘテロフォニー(異音性)の原理を指摘することができる。これは近世邦楽(その代表は種々の三味線音楽)にあるような,いわゆる不即不離(つかずはなれず)の理念にもとづく,微妙なタイミングのずらしによるアンサンブルのあり方である。すなわち,基本的には同形の旋律が歌と楽器のパートによって同時につくられていても,結果としては時間的ずれや装飾(子節)によって多声音楽となっているのである。したがってこの場合,各パートのあいだの音色上の微妙な差異に音楽美があることになる。アフリカの場合,激しい身体上下運動ともあいまって,音の強弱の変化や持続の複雑な組み合わせと絡み合いなどを通じてリズムの多彩さを前面にうち出すところに特徴がある。そしてしばしば同時に幾種類かのリズムを奏して,いわゆるポリリズムの形をとる。
音高操作について詳述すると,まず第1に連続的な音高変化(グリッサンドないし滑音)と,その反対の段階的な変化(音階)の2種類が区別される。アナログ的な音高変化は,声やリード系管楽器(篳篥・オーボエ),擦弦楽器(胡弓・バイオリン)の表現において,ほとんどすベての民族の音楽できかれるが,多くは音階音の移行にさいしてすり上げたり,下げたりする形をとる。しかし,オセアニアやアジアにおいては,連続的な音高変化が中心的な表現目的の一つになっていることがある。ハワイの朗唱祈祷オリ(o`li)や
,ラマ教・仏教の声明がその例である。ディジタルな音高変化は,それぞれの民族で音階としてパターン化しており,ヨーロッパの七音音階(ヘプタトニック),東アジアの五音音階(ペンタトニック),東南アジアのオクターブ五等分(ジャワ島のスレンドロ12音階),南および西アジアの微分音を含む七音音階などがよく知られている。音階を構成する各音は,平等にあつかわれるのではなく,序列(ヒエラルキー)に従って,主音(その多くは終止音として機能する)や核音を軸にして二度・三度・四度・五度・八度(オクターブ)といった音程の音階音により音組織をつくりあげる。旋律は,この音組織を駆使してつくられる音の上下運動のいろいろな輪郭によって形成される。それは文化によってパターン化される傾向があり,旋律型として抽出することができる。演歌・ロック・中国音楽・モーツァルトなどが,それぞれそれらしさを示すのは,一つにはそれぞれがもつ旋律型の特徴によっているといえる。
音の長短や強弱が音楽的に利用されるのは,拍子およびリズムにおいてである。拍子については,規則的な拍感がない自由リズム(たとえば追分)と,逆にはっきりと周期的な反復を示す固定リズムとが区別される。さらに固定リズムは,一定の時間単位を分割することを基本にした分割リズム(日本の表間・裏間,ヨーロッパの強弱対比による2拍子・3拍子など)と,拍をグルーピングして加法的に延長していく付加リズム(インド古典音楽のターラ,たとえば4+2+2)とが区別されるが,現実には,この2種類が混在することが多い。
このようにして音の特性を人為的に操作ないし制御する技法は,さらに一歩すすめて形式感の形成につながっていく。それは,時間芸術としての音楽が絶対時間の進行のまっただ中で人工的(芸術的)な音楽時間を形成することであり,それが達成されると,時間的なひろがりをこえた空間的なまとまりすら感じさせることができるようになる。形式形成に向かう出発点は,単音を発することであり,たとえば尺八を一吹きするだけで,すでにミクロコスモスが非日常的な時空間として提示される。次に動機(モチーフ)ないし音変化最小単位がつくられるが,これは言語にたとえれば単語に相当するものである。当然,単語の組み合わせとしてのフレーズ(楽句),文章としての楽節が上位レベルで形成され,そうした分節点はパターン化した旋律輪郭や和声進行によって半終止や完全終止といった機能が全うされたり,休止符(息つぎなど)や特定楽器音の挿入(トライアングルやゴングなど)などによって明示され,きき手は話しことばをきくときや書きことばを読むときと同じように,ほとんど無意識のうちにこうした分節点をきき分けることができる。この句読法にも似た音楽的分節法は,コロトミーと呼ばれる。
音楽の形式は,さらに動機・楽句・楽節などのレベルで反復・変奏したり,逆に全く対比的な性格の動機や楽句を配置する技法などによって規模を拡大していく。たとえば,ほとんどすべての民族が共通にもつ有節歌曲形式は,歌詩が1番・2番・・・と変化していっても,音楽的に4フレーズほどから成るひとまとまりの楽節を反復していく形をとる。もっと複雑な形式を工夫するときは,民族や時代によって趣向が異なり,たとえば,東アジアに多い序破急(ゆっくりしたテンポから速いテンポヘの変化),日本の地歌箏曲における手事物(前歌→器楽としての手事→後歌),ヨーロッパのソナタ形式(二つの対比的主題の呈示・展開・再現)といった具合いである。
【音楽の意味と機能】形式化し様式化した音楽は,それ自体で特殊な時空間を形成し,そこに生起される音の連なりや流れが繰りひろげる運動が,それぞれの文化のなかで意味をもたされる。音楽の意味は,大きく2種類に分けることができる。第1に,音楽に内在する統語論的な音運動のもつ意味があり,これは前述の音楽構造として認知され,音楽受容ないし鑑賞の行為を支えている。第2に音楽は,いわば音楽外的な意味をもちうる。すなわち,特定のパターンや楽曲は文化によって規定された記号として,文化の担い手集団のあいだで伝達されるのである。
たとえば,描写音楽の場合,模倣の客体(カッコーの声,水のせせらぎ)と主体(旋律型・リズム型)のあいだに直接的な類似があれば,きき手は日常世界を追体験する形で音楽外的な意味を理解することができる。しかし,実際の音楽ではそのような例はむしろ少なく,一定の約束事に即した性格づけが文化ごとに恣意的に施されていることの方が多い。つまり,慣れ親しんだきき手でないと理解できない側面の方がむしろ本質的であって,その意味では「音楽に国境はない」というスローガンはまやかしにすぎない。したがって,異文化をこえた音楽の理解のためには,相当の時間と訓練が必要であり,明治以降100年ほど国をあげて西洋音楽に接してきた日本人の体験が,つぶさにそれを物語っている。約束事による音楽的意味づけの典型的な例は,ワーグナーの楽劇において登場人物と結びついて奏される指導動機(ライトモチーフ),日本の三味線音楽における名称つきの合方(パターン化された音型),たとえば,雪の合方 虫の合方などであり,よいきき手(訓練された聴衆)は,特定の音型をきけば,ただちにそこに意図された人物・情景などを想起することができるのである。
これほどまでに厳密な意味づけが施されていなくても,ほとんどすべての音楽は,それぞれの文化のなかで規定された音楽外的意味をもっており,それに応じて社会生活のさまざまな局面において特定の機能を果たしている。たとえば,冠婚葬祭・年中行事などに付随した『結婚行進曲』『葬送行進曲』『祭囃子』などがあげられる。さらに,国歌・応援歌・革命歌・食卓音楽・BGM(バックグラウンド=ミュージック)などが,それぞれ人心を鼓舞したり,特定の雰囲気をかもし出したりする以上,一定の社会的機能を音楽が帯びるということができよう。もっとひろげて解釈するなら,オペラハウス・コンサートホール・寺社・教会・サロン・家庭といった演奏の場には,それぞれふさわしい音楽がある程度規定されていて,独自の雰囲気のなかで独自の効果をあげるという意味が音楽にある。極言すれば,音楽はすべて何らかの記号として文化のなかに位置づけられているのである。
【音楽の起源と伝承】音楽の起源については,民族により神話のなかに説明されていることもあるが,それらは本当の起源を証言するというよりも,むしろそれぞれの民族がもっている音楽観・世界観をくみとることのできる素材であるといった方がよい。たとえば,パプア=ニューギニアのカルリ族の場合“姉からひどい仕うちを受けた弟が鳥と化してしまった”という神話があり,その鳥の嘆きの声の旋律的輪郭が音楽の起源となっていると説明されているが,ここでは,鳥を人間の死後の化身とみなすアニミズム的哲学がむしろ重要である。一般論として,実際に音楽がどのような起源をもっていたかということについては,次のような説が推論として出されている。[1]ダーウィンが異性を呼ぶ鳥の声にヒントを得て唱えた,性衝動説,[2]ルソー・ヘルダー・スペンサーらによる言語起源説,[3]ブントによる感情表出説(感情がこうじたときの発声によるとする),[4]バラシェクらによる集団労働説。
音楽がどのような起源をもつにしろ,現に各民族がそれぞれの音楽伝統を築きあげ伝承してきたことは事実である。もちろんそこには厳格な伝承もあれば,変化や革新を伴った伝承もある。音楽の伝承方法を大きく分けると,第1に口伝ないし身体伝承,そして第2に文字や楽譜による書伝とがある。もちろん量的には,前者が人類の歴史と現在を通じて圧倒的に多く,最も重要な伝承形態である。伝承の内容としては,楽曲演奏の技術だけでなく,創作(作曲)・記憶・受容まで含んでいる。口伝は話しことばによって音楽的知識が師匠から弟子へと伝えられることを基本とするが,それ以外に模倣という方法も基本的である。模倣は,子供のときから大人の音楽行動を目撃するというごく自然な状況もあれば,一定の手続きと経済的・肉体的負担を伴う徒弟制度の形をとることもある。それがシステムとして確立されると,いわゆる音楽教育として概念化されて,家元制度や音楽学校といった社会的な組織となる。演奏能力習得や記憶をたすける手段としては,口唱歌やソルミゼーションといった多かれ少なかれ理論化された形式が工夫される。これらは,楽譜的な意味合いをもち,事実“テレックテン”“ドレミフア”といったように,文字や記号で書きとめることにより楽譜となっていく例も多い。楽譜は二次元の平面上に音響現象を書きとめるという意味で,音楽のすべての側面が綿密に記されることはあり得ないけれども,かえって本質的な部分が凝縮されて視覚化されやすいともいえる。たとえば,ラマ教朗唱の楽譜は渦巻・波線などの組み合わせによっていたり,西洋近代の五線譜では多数の“おたまじやくし”がひしめきあっていることなどは,それぞれ音楽の特徴をよく表している。すなわち前者の場合,ゆったりとうねるような旋律輪郭を,後者では縦横に音が頻発することを示している。五線譜は横軸に時間の経過を,縦軸に音高の変化を,いわば座標軸上にグラフとして表現した音楽書法である。その意味では合理的であり,普遍性をもっているともいえるが,おたまじゃくしの符頭(黒か白)・符尾・鉤(はたの数を増していく)・付点などの使い分けは,まったく恣意的であって必然性はないので,西洋以外の音楽を書きとめるときには無理が生じてくる。他の楽譜をみても,やはり文化ごとに異なる恣意性が文字や特殊な記号として現れてはいるが,弦や勘所の名称,管楽器の指づかいなどが簡潔に記されるので,いったん覚えてしまえば実用的である。ここで留意しなければならないことは,たとえ楽譜の介入が伝承過程のなかに及んでいても,実際の伝承は楽譜だけに頼ることは皆無であり,口承の要素がつきまとうことである。書伝に相当の重きがおかれている伝統は,中世以後のヨーロッパ芸術音楽・仏教音楽・雅楽などに限られている。
音楽は文化内での伝承にとどまらず,地域をこえて伝播する傾向を顕著にもっている。その最もよい例は,西アジアを起点とする楽器の移動である。西に向かった結果としてピアノ・リュート・ギター,東ではシタール・琵琶・三味線などがあり,それぞれの土地で改作されて独自の音楽性の表現に役立てられてきた。〔参考文献〕J.ブラッキング,徳丸吉彦訳『人間の音楽性』1978,岩波現代選書,岩波書店
W.ヴィオラ,柿木吾郎訳『世界音楽史』1970,音楽之友社
吉川英史『日本音楽の歴史』1965,創元社(大阪)
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