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●オレンジ自由国 オレンジじゆうこく

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 現在は南アフリカ共和国の一州であるが,名称は1854年イギリスがその独立を認めたときのままである。「オレンジ」というのは本来はオランダの王家「オランニュ」家に由来する。ケープ州からイギリスの支配を嫌って移住してきたオランダ系移民が,オランダ人の国家とする願いからつけた名称である。オランダ語のOranjeはオレンジ色の意味で,英語に訳すればOranGeになるので,1910年南アフリカがイギリス支配下に入ってから「オレンジ自由国」の名がひろく用いられるにいたった。

 面積は12万9,153平方kmで南アフリカ連邦の4州の中で最も狭い。西部の標高は1,220mから東部の標高1,830mまで,全体が内陸高原地帯にあり,東南はアフリカ人の独立国レソトと国境を接している。19世紀初頭までバンツー語を話すツワナ族が住んでいたが,1836〜1838年にケープ植民地からベルベル人が移住してきて,マタベン族と戦いながら,1846年にブルームフォンテンの町を中心に,ベルベル人入植地を建設,ケープ植民からのイギリス勢力と交渉がつづき,1853年イギリスとのブルームフォンテン協定でボア人国家オランニエ自由国の独立が認められた。初代大統領にはJ.P.ホフマンが就任した。当時の人口は約15,000人であった。さらに内陸には,別のベルベル人共和国トランスヴァールがあったが,1859年にM.W.プレトリウスが,一人でこの二つの共和国の大統領となった。1871年にヴァール川とオレンジ川の中間地域でダイヤモンドが発見され,オレンジ自由国とグリカ族の双方がその地の領有権を争った。しかし,そのダイヤモンド産地(のちにキンバーレイとなる)は,イギリスがオレンジ自由国に9万ポンドの補償をして1876年にケープ植民地に編入した。1890年にケープタウンとブルームフォンテンを結ぶ鉄道が開通した。

 1897年にオレンジ自由国とトランスヴァールは同盟条的を結んだ。1899年にイギリスとオレンジ自由国,トランスヴァールとのあいだに,いわゆる南ア戦争が始まり,1902年5月末のフェレーニヒング講和条約までつづいた。勝利をえたイギリスは,オレンジ自由国をオレンジ州植民地と改称して統治下においた。1910年南アフリカ連邦が実現されると,オレンジ州植民地はその一州となり,オレンジ自由国の名称が回復された。

 第二次世界大戦後,オレンジ自由国州内で有望な金鉱が発見され,有名なトランスヴァールの産金額につぐ世界的な金の産地となっている。なお州都ブルームフォンテンは南アフリカ連邦(現在は南アフリカ共和国)の司法権の首都となっている。