●オルランド
ヨーロッパ イタリア共和国 AD1860 サルデーニャ王国
1860〜1952 法学者・政治家。今世紀初頭20年間のイタリア政界の指導的人物。質素な弁護士の子として生まれ,パレルモ大学卒業。1885年モデナ,1886年メッシナの各大学の憲法学教授。1888年パレルモ大学の行政法,1901〜1931年ローマ大学の公法と憲法学の教授。政治家として1895〜1925年ポルティニコ選挙区から連続当選。1903〜1905年ジオリィティ内閣の文部大臣,1907〜1909年,1914〜1916年法務大臣,1916〜1917年国務大臣,1917〜1919年首相。以後政治的に大きな権限をもつことはない。初め親ファシスト的で,のちに反ファッショ的となる。第一次世界大戦後の1919年パリ講和会議で首相自ら出席し,戦勝国としての権益を主張したがダルマツィアもフィウメもイタリア領と認められず,一方的雰囲気のなかで会議を放棄。こうした非力な政治指導者への国内の不満がファシストやナショナリストの直接行動を容認させた。