●幹魯朶 オルド
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トルコ語から蒙古語・ツングース語に伝わり,漢字では音より幹耳朶,兀魯朶とも書く。もとは中央を意味したが,のち部族長の住居・皇帝の宮殿をさした。訳語は宮帳・行宮。遼(契丹)・元(蒙古)の両王朝ではオルドを制度として整備した。遼では各皇帝が即位するとオルダが置かれた。オルダには,これを維持するための州県と部族がそれぞれ与えられ,戸口の管理にあたる宮府が設けられ,隷属民より徴発した兵馬が備えられた。皇帝が没するとオルドは后妃が管理して陵寝に奉仕し,軍隊はその守衛についた。皇太后や皇子にオルダが置かれた例もある。元朝ではオルダを所有するのは皇帝に限られた。一皇帝に4〜5個ほど置かれ,后妃に配備された。隷属する州県・部族はなく,后妃の采邑・歳賜をおもな財源とした。陵寝の制がない点でも遼と異なる。蒙古系の遼・元に対し,ツングース系の金では組織体としてのオルダの発達はみられない。